人間はいつか死んでしまうとしても、焼死という最期はイヤすぎる。
生きたまま炎に包まれると火傷で激痛が走るだけでなく、煙を吸うことで呼吸器系がダメージを受けて、呼吸困難におちいることもある。
身体の表面と内側のすさまじい痛みにほとんどの人はショック死して、その後、炎によって死体を焼かれることになる。
あえてそんな苦痛に耐えて自分の命と引き換えに、守りたいものを守ろうとしたベトナムの仏教僧がいた。
このベトナム僧 ティック・クアン・ドックは政権による仏教弾圧に抗議して、1963年の先日6月11日に亡くなった。
歴史を変えた彼の壮絶な死は、いまでもベトナム人に影響を与えている。
読売新聞(2023/06/11)
ベトナム戦争期の高僧焼身自殺60年、各地で続く法要「歴史の流れを変えた」
日本の歴史でも仏教弾圧はあった。
明治時代の1868年、神道と仏教を引き離す「神仏分離令」が政府から出されると、お寺や仏像を破壊する廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の動きが全国各地で発生。
でもこの時、仏教僧が強く抵抗したという話は聞かないし、命をかけて抗議したこともない。
宗教のために死ぬ必要はないし、日本人はこれでいい。
でも、ベトナム人は違う。
1960年代前半のベトナムは、いま朝鮮半島が北朝鮮と韓国に分かれているように、北ベトナムと南ベトナムの2つの国があった。
フランスの植民地だったベトナムではキリスト教の影響が強く、当時の南ベトナムを支配していた鬼畜なゴ・ディン・ジエム大統領も熱心なカトリック信者で、首都サイゴン(現ホーチミン市)にいたカトリック信者を優遇して支持を集めていた。
その一方で、仏教は厳しい弾圧を受け、各地の寺が襲撃されて多くの僧が逮捕される。
こんな”国家的いじめ”を受けたら、ベトナム仏教は衰退してしまう。
大切な教えを守るため、そして政権に抗議してその悪行を世界中の人に知ってもらおうと、 ティック・クアン・ドック僧が覚悟をきめた。
1963年6月11日、事前に予告していたドック僧はその場所に現れると、路上に静かに座る。
そして頭からガソリンをかけてもらって火をつけられ、全身は激痛に襲われて呼吸もできなかっただろうけど、そのままの姿勢を保って絶命した。
その映像がメディアによって伝えられると、世界が揺れた。
特に、ゴ・ディン・ジエム政権を支援していたアメリカの受けた衝撃はとてつもない。
これを知ったケネディ米大統領は「Jesus Christ(何ということだ)!」と叫んで、「歴史上、世界中でこれほど強い感情(おそらく怒り)を引き起こしたニュース写真はない」と言う。
「こんな悲惨な光景は、キリスト教の殉教者が手をつないでローマの闘技場に入ってきたとき以来だ」と主張した上院議員もいた。
これがきっかけで、ベトナム戦争に加担するアメリカ政府に抗議するため、ドック僧の後に続くアメリカ人が何人も出てくる。
たとえば1965年月3月16日には、82歳の平和活動家がデトロイト北西部の連邦百貨店の前で焼身自殺をした。
Thich Quang Duc’s actions were fatally copied in the United States in protest against the Vietnam War. On 16 March 1965, Alice Herz, an 82-year-old peace activist, immolated herself in front of the Federal Department Store in northwest Detroit.
アメリカ人が政府に抗議するのは日常茶飯事だけど、焼身自殺をするのはまず、まず考えられない。
こうやって国民の間で反戦ムードが高まっていったから、アメリカ政府は頭を抱えることになったし、ベトナム戦争にも影響が出た。
南ベトナム政府を非難する声は世界中で上がり、この年の11月にクーデターによって政権は崩壊し、ゴ・ディン・ジエム大統領は殺害された。
ベトナムの歴史を変えた6月11日には毎年、ドック師の法要が営まれている。
ホーチミンにあるお寺で行われたことしの法要で、ドック師の自己犠牲はこう紹介された。
「自分の体をたいまつとして(南ベトナム)政権の闇を打ち破った。非暴力の精神で、宗教の平等と自由への闘いに身をささげた」
いまではドック師は仏教徒の抵抗の象徴や、精神的な支えになっているという。
死に方によっては永遠に生き続けることもある。
廃仏毀釈の時、仏教僧にこれをやられたら、明治政府も「ジーザスクライスト!」と叫ぶことはなくても、かなり困ったことは間違いない。
この話には続きがある。
抗議の焼身自殺をした後、ドック師の遺体は改めて丁寧に火葬された。
その際、彼の心臓は焼けずに無傷のまま残ったから、参加した人たちは目を疑った。
仏教徒はこれを聖遺物としてお寺に納めて、その心臓はいまでも大切に保管されているという話をベトナムの日本語ガイドから聞いたことがある。
「Thích Quảng Đức」にその心臓(と言われる)の写真がある。
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