【歓喜と慰霊】グアムの戦いで日本軍が米軍に負けた意味

 

「この景色がいいね」と君が言ったから、7月21日は日本三景の記念日。

江戸時代に、林 鵞峰(がほう)が松島・天橋立・宮島の三つの景色を称賛したことから、「日本三景」が生まれた。
そんな林の誕生日、1618年7月21日にちなんで「日本三景の日」という記念日がつくられた。
ちなみに、この人の父親は徳川家康の側近だった林羅山だったりする。

日本ではこんなピースフルな7月21日は、アメリカやグアムにとっては解放記念日になる。
どこから解放されたかというと、日本からだ。
日本三景なら場所を覚えておけば十分で、日本人なら「グアム解放」の歴史を知っておいた方がいい。

 

上陸するアメリカ軍と日本軍機の残骸

 

1941年12月8日、日本軍は真珠湾攻撃と同時にグアムにも攻め込み、米軍を撃破してグアムを占領した。
その結果、グアム島が「大宮島」、首都のハガニアは「明石」と改称されて日本の領土になったのは、今となってはちょっと不思議な感覚。(日本軍によるグアムの占領

日本軍の攻撃を受けて、フィリピンから逃げ出したマッカーサーは「I shall return (必ず戻ってくる) 」とリベンジを誓い、後にそれを実現させた。
米軍はグアムに対しても、これと同じ気持ちを持っていた。
1944年7月21日、この島を日本から取り戻すため、米軍が海岸に上陸したことで「グアムの戦い」が始まる。
日本軍は必死に応戦し、爆薬を抱いて戦車に体当たりしたり、何度も夜襲をかけたりしたが、米軍を苦しませるのが精一杯で、精神力では圧倒的な兵力差は埋められない。
武器や弾薬が底をつき、まさに「刀折れ矢尽きる」の状況になると、熊手や野球バットを持って米軍に突撃する兵士まで出てきたから、もう末期的だ。(グアムの戦い
戦いは勝ち負けではなく、日本の軍人としてどうやって立派に死ぬかが問題になる。
約3週間後の8月10日に戦いは終結し、日本軍で約2万人、米軍では約2千人が犠牲となった。

グアムを含むマリアナ諸島を絶対国防圏と考えていた日本にとって、このラインを突破されたことはあまりにも痛かった。
アメリカからすれば、「よっしゃー!」からのガッツポーズだ。
米軍はグアムに大規模な航空基地を築き、そこから新しい戦略爆撃機「ボーイングB-29」を使って日本本土への爆撃が可能になったのだから。

allowed the United States to establish large airbases from which it could bomb the Japanese home islands with its new strategic bomber, the Boeing B-29 Superfortress.

Battle of Guam (1944)

 

本土爆撃によって都市は次々と破壊され、日本は戦闘を続ける力がなくなっていく。
そしてグアムの戦いから1年後、二度の原爆投下を受けて日本は力尽きた。
米軍が爆撃の拠点として使ったグアムの基地の飛行場は、皮肉にも、もともとは日本が整備したものだった。
現在ではその飛行場はグアム国際空港になり、多くの日本人観光客を迎え入れている。

ちなみに、日本の降伏を知らず、ジャングルで1人潜伏していた横井庄一が1972(昭和47)年にやっと日本へ帰国して、列島は大騒ぎになった。

 

7月21日の「解放記念日(Liberation Day)」にはパレードが行われる。
でも、日本人にとっては慰霊の日だ。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。