【敵は日本軍】ガダルカナル島の戦いでムダに殺された日本兵

 

きょう8月7日は語呂合せで「バナナの日」、でもってそれから派生して「東京ばな奈の日」になっている。
さらに「87(はな)」から「はなまるうどんの日」の日でもある。
現代に生まれた日本人はバナナでもお菓子でもウドンでも、何でも好きなものを食べることができるが、同じ日本人でも、生まれた時代が違うと人生もまったく別のものになる。

1942(昭和17)年の8月7日は太平洋戦争の中でも、もっとも悲惨で過酷な戦いのひとつ「ガダルカナル島の戦い」が始まった日だ。
オーストラリアの南東にあるこの島をめぐって、米軍と激しい戦いを繰り広げた結果、日本軍は敗北し多くの死者を出す。
陸軍にとってこの戦いは太平洋戦争で経験した初めての大敗で、逆に勝利したアメリカ軍は勢いづき、その後日本が敗戦に向かう重要なターニングポイントとなった。
ただ、軍人として戦って死ぬのならまだいい。
でもガダルカナル島の戦いでは、日本軍のバカさが存分に発揮されて、それによる犠牲者も多かった。
この戦いによる死者は2万以上で、そのうち戦闘での戦死者は約5千人、残りの約1万5千人は餓死と病気によって亡くなったと考えられている。
救える命もあったのに。

 

8月に米軍が上陸してガダルカナル島の戦いが始まると、日本軍は負け続けて、その年の11月後半になると日本軍のトップである大本営(最高統帥機関)には、「からっぽの飯盒(はんごう)を持ったまま兵が死んで、腐って蛆(ウジ)がわいている」といった地獄のような現地報告が上がるようになり、「作戦の継続はもう無理だ…」ということは明らかになってきた。
となると後はもう、これ以上の犠牲者を出さないために、一刻も早く撤退の決断を下さないといけない。
でも、ここで大本営は「ダレが撤退を言い出すのか?」という、これ以上なく重要でクダラナイ問題にぶつかった。
そのころ食べ物が無くなり、疲弊しきったガダルカナル島の日本兵の間ではこんな生命判断が流行ったという。

立つことの出来る人間は、寿命30日間。
身体を起して座れる人間は、3週間。
寝たきり起きれない人間は、1週間。
寝たまま小便をするものは、3日間。
もの言わなくなったものは、2日間。
まばたきしなくなったものは、明日。

1月1日の元旦に支給された最後の食糧は、乾パン2粒とコンペイ糖1粒だけだったという記録もある。
一切の食べる物が無くなると、同じ日本兵の肉を食べるカニバリズムが発生したといわれる。
一方、米軍兵士はアイスクリームを食べることができた。

そのころ日本の大本営では、陸軍と海軍が「絶対に負けられない戦い」を繰り広げていた。
お互いにメンツを守るため、先に弱音を吐くことができない空気があって、相手より先に「撤退」を言い出すことができない。
地面に転がる兵士の死体は腐ってウジ虫がわいているという報告があっても、自分たちの名誉を優先して陸軍も海軍も口を閉ざす。
現地では日本軍が弱体化するのと反比例して、米軍はますます増強していくから状況はもう絶望的。
大本営が撤退を言い出すまで、結局2カ月もかかった。

大本営参謀が撤退を考えるようになってから、ほぼ二ヵ月も経過してからの決定であった。この間ガダルカナル島の日本軍においては、飢餓と病が加速度的に進行していたのであった。

「失敗の本質 (ダイヤモンド社) 戸部 良一; 寺本 義也; 鎌田 伸一; 杉之尾 孝生; 村井 友秀; 野中 郁次郎.」

 

この2カ月の間で、一体どれぐらいの日本兵をムダに死なせてしまったのか。
現代に生まれていれば、「東京ばな奈」でも好きなウドンでも好きな時に食べることができたのに、太平洋戦争の時に生を受けたばかりに、飯盒を持ったまま、異国の島で餓死することになる運命を背負わされた。
「時代ガチャ」のハズレの中でも、ガダルカナル島に送られた日本人のハズレは最悪だ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。