【虐殺と解放】戦争で、日本がアジアにしたことを反省する

 

78年前のきょう8月15日、日本はアメリカに降伏し、太平洋戦争は終結した。
約310万人の犠牲者の魂を慰霊するため、東京の日本武道館で全国戦没者追悼式が開かれ、岸田首相は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いを今後も貫いてまいります」と誓う。
また、天皇陛下は、

「過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

と述べられた。
今回はまったく異なる外国人の視点に触れながら、改めてあの戦争について反省しようと思う。

 

20年ほど前にシンガポールを旅行したとき、とても印象的だったのは、街中で日本の影響をたくさん感じたこと。
「庭寿司」か「丹羽さんの寿司」か知らんけど、寿司は当時のシンガポール人にも愛されていた。

 

 

まさかシンガポールで新選組と出会うとは!
彼らは幕末の京都で活躍したいわば警察で、幕府に反対する志士を見つしだい斬っていた。…という歴史を知っているシンガポール人はまずいない。
でも、シンガポールでは国民の75%が中国系で漢字を読むことができるから、ここに書いてある内容もほとんど分かるかもしれない。

 

 

 

泊まっていたゲストハウス(上の写真)のスタッフと話をしていると、日本人は部屋をキレイに使ってくれるから、客としては大歓迎だと言ってくれた。
「清潔」というポイントは、シンガポール人にとって大事らしい。
ただ、もう少し英語を話せるといいのにね、という意見は文部科学省に言ってほしい。
シンガポールを旅していると、日本の文化は国民から支持されていて、日本人の受けもイイと感じたから、ややホルホル(誇らしく良い気分)していた。
だから、これを見た時は、突然冷や水を浴びたような気分になる。

 

 

1960年代に、シンガポールの海岸から大量の白骨が見つかった。
これは一体何なのか?

戦時中、日本はイギリス軍を撃破した後、シンガポールを「昭和に獲得した南の島」という意味で昭南島と呼び、3年6ヶ月にわたって占領統治していた。
この時期、日本は中国を支援し、抗日運動をしていたと疑われる中国人の住民を処刑した。
これが「シンガポール華僑粛清事件」で、正確な死者数はわかっていないが、数千人から数万人と言われている。
この白骨は、粛清事件の被害者の遺骨と考えられた。
それで、1942年から1945年までの日本の占領期間に亡くなった市民すべてを追悼するために、上の「日本占領時期死難人民記念碑」が建てられた。

 

 

その一方で、あの戦争で日本がしたことは誇っていいと主張をするオランダ人がいる。

産経新聞(2016/2/23)

悪いのは侵略した白人、東亜民族解放した日本は誇りを…オランダの市長挨拶から再び戦後体制の是非を問う

オランダは300年以上もインドネシアを植民地支配していて、北からやってきた日本軍と戦い、撃退された。
そんな歴史的な背景から、オランダの元内務大臣でアムステルダムの市長をしていたエドアルド・ヴァン・テイン氏が1991年にこんな内容のスピーチを行う。

日本人は「アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない」「迷惑をかけた」と自分をさげすみ、ペコペコ謝罪しているが、これは間違いだ。
日本は自らの血を流して東亜民族を解放し、救い出した。人類最高の良いことをした。
本当に悪いのは、武力でアジアの民族を支配し、長い間、奴隷的に酷使していた白人だ。侵略し、権力をふるっていた西洋人の方なのだ。
日本は戦争に負けたが、アジア諸民族を解放した。
日本軍がヨーロッパの国々を追放した結果、東南アジアは独立を達成した。
だから、日本人は自分を卑下するのをやめて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきだ。

 

日本軍に殺害された市民の慰霊碑がある一方で、日本はアジアを解放したと語るオランダ人もいる。
第二次世界大戦で、日本がアジアでしたことについて、見方は大きく2つに分かれるのだ。
…ということではない。
このアムステルダム市長の言う「アジア解放戦争」の話は、戦時中の日本政府の主張と同じで、現在の日本政府の見解とは違う。
この説を支持する外国人は超例外的だから、これを一般的な意見と考えてはいけない。
日本とヨーロッパの軍隊が戦ったことが、結果的にアジア解放につながったという見方なら常識的だ。

いまの東南アジアの人たちは、あの戦争についてどう考えているのか?
タイ人、インドネシア人、マレーシア人、シンガポール人、フィリピン人などに話を聞いたボクの経験から言わせてもらうと、当時の日本は解放者ではなく、悪者だ。
ただ、一般市民は、寿司やアニメなどの現代の日本文化に圧倒的な親しみを感じていて、「戦時中の日本」なんてほとんど興味がない。
話題としては、第二次世界大戦のことよりも、日本のポップカルチャーの方が断然食いつきがいい。
「歴史はどうでもいい」ということではないが、彼らの視線は78年前の過去よりも、現在と未来に向けられている。

 

シンガポールであの慰霊碑を見た後、宿のスタッフに「華僑粛清事件」についてどう思うか聞くと、彼は「あれは歴史だ。それ以上でも以下でもない」と短く言う。
ゲストハウスで働く彼からしたら、日本軍は二次元の存在で、部屋を丁寧に使ってくれる日本人のお客さんは大歓迎だと。
ただ、彼の場合は、身内で犠牲者がいないから、過去の話と割り切ることができる。
そうでない場合は、まだ日本に対して、恨みを持っている人はいるかもしれないという。
「マニラ虐殺」について、マニラ出身のフィリピン人も同じような話をしていた。

フィリピン人が日本を嫌う理由 現地日本人の見方は?

いまたまたま、ウィキベテアでこんな一文を発見。(日本占領時期のフィリピン

「日本軍の「アジアの解放」という大義名分は、インドネシアやマレーシアとは異なり、フィリピン人には歓迎されなかった」

 

いまの日本人のほとんどは戦後生まれだから、それ以前に起きた出来事についての責任はない。
シンガポールの華僑粛清事件については、責任者が裁判にかけられ、すでに絞首刑などの罰を受けている。
戦時中に起きたほかの事件も同じだ。
78年というと、幕末から昭和初期までの期間と同じ長さで、令和に生きる日本人が罪悪感を感じる必要はない。
東南アジアの国々もそんな理不尽なことは考えていないから、日本に謝罪や賠償を求めていない。
いま東南アジアの人たちが日本人に望んでいるのは、旅行にきて、お金を使って楽しんでくれることだ。
でも、過去と現在は無関係ではないから、日本人として戦時中に日本がしたことは知っておくべき。
歴史について反省をするというのは、起きたことを正しく理解し、再び戦争の惨禍を繰り返さないことを意味する。
罪悪感や恨み、憎しみなどのネガティブな感情があると、歴史を客観的に見ることができなくなってしまう。

タイやインドネシアなどの東南アジアの国を旅行すると、現地では日本文化が大人気で、多くの人が日本人に好印象を持っていることに気づくと思う。
でも、それだけではない。
思いがけない瞬間に、闇歴史に触れて心が重くなることがある。
それはしっかり受け止めないといけない。
自分がしていないことに罪の意識を感じる必要はないから、過去を冷静に理解して、明るい未来を築くことが重要だ。
海外旅行に行って現地の人と交流することは、歴史を反省するうえでとても役立つ。

 

現在のフィリピンはこうなっていた。

 

 

日本 「目次」

東南アジア 「目次」

【太平洋戦争と日本】東南アジアの人たちが憎んだこと・ビンタ

日本と東南アジアの関係 ③ いまは親日!友好と信頼が90%

太平洋戦争の現実①敵は“飢え”。日本兵がフィリピンでしたこと

カンボジア人ガイド「日本人と韓国人の違いは、見た目で分かる」

 

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ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。