【ユダヤ人虐殺】ドナウ川のほとりに無人の靴がある理由 

 

日本では、1872年に初めて鉄道が開通し、新橋駅から横浜駅まで汽車で移動できるようになった。
この未知の乗り物を前にした庶民は、下駄や草履を脱いで乗車した。
どうやら、そこを「室内」と思ったらしい。
その結果、汽車が出発すると、駅のホームにはたくさんの履物が残されるというシュールな光景が生まれた。

明治の鉄道開通で続出した、日本人らしい忘れ物とは?

これは、文明開化のころの日本人らしいほのぼのしたエピソードだ。
でも、ハンガリーを流れるドナウ川のほとりにある無人の靴はそうじゃない。

 

 

第二次世界大戦の時期、ナチス=ドイツはホロコーストと呼ばれる大量虐殺をおこない、600万人ものユダヤ人が殺害された。
ヒトラーをはじめとするナチス党員は、ユダヤ人はドイツ国民の永遠の敵であり、一人の例外もなく、完全に抹殺しなければならないと考えていた。
強烈な人種差別思想を持っていた彼らは、「ユダヤ人問題の最終的解決」として、ユダヤ民族の絶滅を計画し、実行する。

国際ホロコースト記念日:ナチスがユダヤ人絶滅を考えた理由

 

ハンガリーの極右政党である「矢十字党(やじゅうじとう)」(1939年~1945年)は、ナチスの差別思想の影響を強く受け、「優秀な民族が下等な民族を支配する」と考えた。
そして、矢十字党がナチスの支援を得てハンガリーを支配すると、同じようにユダヤ人の虐殺を開始する。
矢十字党の民兵は多くのユダヤ人をドナウ川の東岸に連行すると、そこに並ばせて、靴を脱ぐよう命じた。
その後、民兵は次々とユダヤ人を銃殺し、その遺体はドナウ川が下流へ運んでいった。
靴を残すように命じた理由は、靴は貴重だったから、民兵が後で回収して転売するためだったらしい。

They were ordered to take off their shoes (shoes were valuable and could be stolen and resold by the militia after the massacre), and were shot at the edge of the water so that their bodies fell into the river and were carried away.

Shoes on the Danube Bank 

 

2005年に、ユダヤ人虐殺の歴史を忘れないように、そして犠牲者を追悼するために「死者の靴」というタイトルの靴のモニュメントが、首都ブタペストを流れるドナウ川のほとりに作られた。
そこには小さな子どもの靴もあり、いまでも多くの市民が花が捧げている。
*画像は上のリンク先にもある。

明治時代の駅のホームと違って、この光景は本当には重く、心が痛い。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。