どこの国でもテーマパークは、子どもたちに夢を提供することがお約束。
客を不愉快にさせることはNGで、絶対にしてはいけないことは、差別行為だ。
去年の夏、アメリカの遊園地「セサミプレイス」で、セサミストリートのキャラクターの着ぐるみがそれをして大炎上した。
この着ぐるみは、白人の大人や子どもにはフレンドリーにハイタッチをしたのに、2人の黒人の子どもには首を振ってそれを拒否(したように見えた)。
CNNなどの大手メディアが「人種差別な行為」として報じ、批判が殺到すると、セサミプレイス側は「ご家族に心から謝罪します」と頭を下げたが、時すでにおすし。
動画を見た別の家族も、以前セサミプレイスで娘が同じような差別を受けたと主張し、遊園地の運営元に対して、連邦裁判所に約33.1億円の損害賠償を求める訴訟を起こした。
以前、日本の小中学校で英語を教えていたアメリカ人と話をしていたとき、これが話題に出た。
「人種差別は絶対に許されない! ってことは分かるけどさ、33億円の被害を受けたというのはどうなん? しかも別の家族だし。これはちょっとやり過ぎでは?」
とボクが言うと、彼女は、
「言うのはタダだし、とりあえず大きな額を請求したんじゃないの? 知らないけど。でも、アメリカ社会における人種差別の重大さや恐ろしさは、日本人の感覚では理解できないと思う。だって、初めて黒人の生徒が白人と同じ高校に通うことなったとき、どれだけの騒動になったか想像できる?」
と言って、「リトルロック高校事件」の話をした。
確かにそれは、日本ではあり得ない出来事だ。
黒人生徒の入学に反対し、声明を読み上げるフォーバス州知事(右から2番目)
1954年にアメリカの最高裁判所は、それまで公立学校で行われていた白人と黒人を分ける「分離すれど平等」の原則を否定して、黒人も白人と同じ学校へ通うことを認めた。
この裁判を起こした黒人のブラウン氏の主張はこうだ。
彼の自宅の近くの学校は“白人専用”だったため、小学生の娘は遠く離れた黒人学校に通わなければならなかった。
両親たちは、子どもを最も近い学校に登録しようとしたが、それは徹底的に拒否される。
それで全米黒人地位向上協会の支援を受けて、ブラウン氏らはこれは平等ではないと裁判を起こし、最終的には最高裁でその主張が認められた。(ブラウン対教育委員会裁判)
この判決によって、公立学校での白人と黒人の分離教育は違憲となり、各地で融合教育化が進められるようになった。
アメリカでは北部に比べて、南部で人種への偏見や差別が強い傾向がある。
その中でも、アーカンソー州は差別撤廃に積極的だったのに、フォーバス知事は州内のリトルロック市にある高校に黒人の生徒が通うことに反対し、州兵を送って学校の入口を封鎖して彼らの登校を阻止した。
それに加え、彼らは待ち構えていた白人たちから投石され、殺すぞと脅された。
「黒人と一緒に学ぶなんてあり得ない!」と地元の白人も知事の対応を支持する。
陸軍の軍人に護衛されながら、高校へ向かう黒人生徒
市長は知事に対し、法律を守るよう進言したが無視される。
黒人の生徒を学校へ通わせたいと考えた市長は、アイゼンハワー大統領に支援を求めた。
最初は様子見だった大統領も、この問題が国の内外で注目されるようになると、市長の要請に応えて軍の派遣を決定し、陸軍第101空挺師団を送り込む。
1957年9月、入学予定だった9人の黒人学生は、軍隊に守られながら登校した。
*後に彼らは公民権運動のシンボルとして、「リトルロックナイン」と呼ばれるようになる。
ただ、護衛が付いたのは通学路だけで、校内では、黒人の生徒たちは守られていなかったらしい。
そのため、メルバ(Melba)という女子生徒は、白人の生徒から目に酸を投げつけられたという。
それだけでなく、彼女は白人の生徒たちにトイレの個室に閉じ込められ、上から火のついた紙を落とされて体を燃やされそうになった。
Melba Pattillo had acid thrown into her eyes and also recalled in her book, Warriors Don’t Cry, an incident in which a group of white girls trapped her in a stall in the girls’ washroom and attempted to burn her by dropping pieces of flaming paper on her from above.
1人の黒人生徒が退学すると、白人の生徒たちは校内に「One down, Eight to go(一人脱落。あと8人)」という貼り紙を貼った。
でも、この 8人は差別に負けず、全員が高校を卒業できたと思う。
タイム誌の表紙を飾る護衛の軍人
黒人生徒の入学に反対し、学校を封鎖する白人集団
「リトルロックナイン」のメンバー(2014年)
リトルロックナインのメンバーは、1999年にクリントン大統領から、民間人としては最も高い栄誉である議会名誉黄金勲章のメダルが授与された。
そして2008年には、彼らはオバマ大統領の就任式に招待された。
日本でこんな登校風景は、もうマンガの世界。
日本の歴史では、明治時代に四民平等の世の中になると、それまで「賤民」と呼ばれ、差別されていた人たちの子どもも学校に通うようになった。
すると、それに怒り、自分の子どもを学校に通わせない親が現れた。
そのころ日本を旅行していたアメリカ人のシドモアが、それに対して、ある知事がすばらしい行動を示したと旅行記に書いている。
怒った知事は自ら生徒となって入校し、同じクラスの部落の子供と並んで座り授業を受けました。理に適った威厳ある示威行動の結果、身分差別は消滅へと向かっています
「日本紀行シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー (講談社学術文庫) 」
軍隊を派遣して、黒人生徒の登校を阻止したアーカンソー州の知事とは天と地。
歴史や背景がまったく違うから、日本人がアメリカの人種差別問題の深刻さを理解することは難しい。
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