「ピクニック」と聞くと、昭和なボクは「おやつは300円以内ですか?」とか「バナナはおやつに入りますか?」とか思ってしまうのだけど、前にアメリカの黒人女性から「picnic」に込められたオソロシイ意味を聞いた。
数百年まえアメリカ社会で黒人が奴隷として、牛や豚のように市場で売られていたときに「ピクニック」という言葉が使われたという。
黒人奴隷は“高価”だから、体つきや歯の状態などを細かくチェックする必要があって、どれを選ぶのか決めるのに時間がかかる。
その黒人女性が言うには、市場でたくさんの奴隷を見て、家族でお昼に食事をしながらどの奴隷がいいか話をしていた。
そして食事を済ませた後に奴隷を購入して連れて帰る。
そんなふうに黒人奴隷を選び取ることやそのイベントを「ピック・ア・ニガー」といって、それが「ピクニック」の語源になったという。
*ニガーは黒人への差別用語で、現代のアメリカのテレビやラジオでこれを言った人間は社会的に抹殺される。
マジか!
ピクニックという春の野原をイメージさせる言葉には、そんな闇歴史があったのか!
と思ってその後、いろんなアメリカ人に聞いても「そんな話は聞いたことがない」と首をかしげる。
結果からいうと、ピクニックはフランス語由来の言葉で、白人が黒人奴隷を選ぶこととは関係なかった。
でもこの過程で何人かのアメリカ人にたずねてみて、わかったことがある。
「ピクニック=ピック・ア・ニガー」という話は知らなくても、「あの時代の白人なら、そういうことをしてもおかしくない。とても残酷なことを平気でしていたから」という認識は全員が持っていた。
当時のアメリカで、白人が黒人にしていたことはここにくわしく書いてある。
奴隷の監督者が従わない奴隷を笞打ち、残忍に扱うことを認められていた。奴隷法は暴力を認め、免責にし、また要求すらしており、(中略)その行動は白人から募集された奴隷警邏隊によって監視され、警邏隊は逃亡した奴隷に略式の罰を与えること、時には傷を負わせたり殺すことさえも許された。
背中をムチで打たれた奴隷(ルイジアナ州・1863年)
古代は分からないけど、日本でこんな奴隷制はなかった。
でも、はじめに黒人女性から聞いた話はまったくのデタラメということでもなくて、事実の可能性がかすかにありそうだ。
アメリカに13年間、生活していた人類学者(の見習い)がブログでこう書いている。
もうひとつの説は、17-18世紀に行われていた奴隷貿易から。
奴隷所有者は、家族も含めて大きな集会を開き、そこで奴隷貿易を行ったとか。
そのような集会は”pick-a-nig”と呼ばれていた。それがPicnicの語源となったと。
ただこの人も書いているけど、picnicの語源はフランス語の「piquenique」(持ち寄りパーティー)というのが定説だ。
でも、数百年前のアメリカでは、家族でランチを食べながら黒人奴隷を選ぶことが当たり前のようにあったことはたしかだ。
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その ”pick-a-nig” 説なんですが、実は私も30年くらい前に米国西南部で現地の米国人から聞いたことがあります。おそらくですが、定説となっている語源の ”pique-nique”(仏語:ちょっとしたオヤツを持ち寄る集まり)よりも、発音の上では、そちらの異説の方がはるかに連想しやすく納得できるからなのでしょう。また奴隷制の当時は、多分、picnicに来た家族連れでpick-a-nigについて話す場合も実際あっただろうと思います。ルイジアナは元々フランス語圏だったこともあるし。
その他もう一つの異説として、”pick-a-nickel” つまり「5セント分の安い弁当?掛け金?を持ち寄った良からぬ秘密の集会が元だ」なんて話も聞きましたけど。でもこの話は明らかに眉唾で、私が日本人だと知っててかつがれたに違いないです!(米国あるある話)
ピクニックはフランス語がドイツに伝わって、アメリカにはドイツ移民が伝えたのだと思います。
それで発音的にはフランス語より、そのドイツ語のほうが現在の英語に近かったという話を聞いたことがあります。
でも、かつての白人が残酷なことをしていたことはかわりません。