「作品に罪はない」という議論は日本でもあるけれど…。
ハンギョレ新聞の記事(2023/9/3)
南山「慰安婦記憶の場」撤去決定に「歴史性無視」と反発=韓国
ソウル市には、「日本軍慰安婦」を追悼する『記憶の場』という造形物がある。
最近、この製作者が強制わいせつで有罪判決を受けたため、ソウル市は造形物の撤去を決めた。
すると、この決定に一部の人々から、「ソウル市は『記憶の場』の「歴史性を無視したまま、性急な決定を下してはならない」と反発の声が上がる。
でも、ソウル市はその主張を認めず、市内にある同じ作者の2つの作品も撤去するという。
慰安婦問題について、韓国ではとても熱心に議論されているが、社会的にはほとんど無視されている、悲しい歴史があるのをご存知だろうか。
日本では昭和の時代、性的サービスを提供する風俗店を「トルコ風呂」と呼んでいた。
*トルコ人の抗議を受けて、1984年に「ソープランド」に改称される。
この呼称は韓国にも伝わり、あちらでも使われるようになった。
ただ韓国の場合、ベトナム戦争の際、現在のホーチミン市に韓国兵のための慰安所を設置し、そこを「トルコ風呂」(Turkish Bath)と名付けたところが日本とは大きく違う。
戦場で兵士による性犯罪を防止するためなどの目的で、いろいろな国が「軍用売春宿」を設置していた。
日本ではそれを慰安所と呼んだ。
この施設にいた慰安婦について、いまでも韓国は強く日本を非難している。
しかし、歴史を見ると、細かい条件や環境などの違いはあるとしても、英語で「comfort woman」と訳される慰安婦は韓国にも存在したのだ。
1950年に始まった朝鮮戦争のときには、韓国の政府や軍が自国の人女性を慰安婦として雇い、韓国軍や米軍兵士の相手をさせていた。
当時の状況は記録に残されている。
陸軍内部の文書では慰安婦は「第5種補給品」(軍補給品は4種までだった)と称されていた。
慰安婦は、韓国軍と共に米兵も利用した。
慰安婦をドラム缶にひとりづつ押し込めて、トラックで前線まで移送したという証言もある。
1960年代、韓国人慰安婦たちは政府から、「ドル稼ぎの愛国者」「真の愛国者」と称賛された。
1970年代には、ある中学校の教師が生徒たちに、「自分の体を米軍に売る売春婦は真の愛国者です。彼女たちのドルが私たちの国民経済に大いに貢献しているのです」と話し、そうした女性の陰口を叩いてはいけないと教えたという。(在韓米軍慰安婦問題)
こんな暗い過去はいまとなっては「負の歴史」だから、国民にはほとんど知らされていない。
しかし、韓国史にはそれ以上に大きな”闇”がある。
1975年まで続いたベトナム戦争でも、韓国がホーチミン市内に韓国兵向けの「トルコ風呂」(Turkish Bath)という名の慰安所を設置した。
2015年にアメリカの公文書によって、当時、韓国がそこでベトナム人女性に売春させていたことが明らかになった。
1回の利用料金は38ドルで、ここは韓国軍専用だったが、実際には米軍兵士も利用できたという。
こうした売春施設で働いていた女性たちは、農村出身のとても幼い女性だったという証言もある。(韓国軍慰安婦 ベトナム戦争時)
韓国の政府や軍が外国人の女性を慰安婦にしていたーー。
日本の『週刊文春』がこれを報じると、内容は事実だったため反論はむずかしく、韓国側としては「腹立たしくはあるが」その主張を認めるしかなかったという。
ハンギョレ新聞の記事(2015-04-25)
韓国政府は今後、ベトナム当局との協議を通じてかつての戦争当時に行われたベトナム戦民間人虐殺はもちろん、このような韓国軍専用慰安所の運営・管理に軍当局がどこまで介入したのかなどを明らかにするための調査と後続措置に乗り出さなければならない。
週刊文春の「韓国軍トルコ風呂」報道、腹立たしいが反論は困難…
もし、韓国が慰安婦問題を日本非難のための道具や政治カードではなく、真の平和や人権の問題として考えるのであれば、確かにベトナム人慰安婦の調査をおこない、事実を明らかにしないといけない。
後続措置も必要らしい。
もし、それをしないのであれば、「歴史を忘れた民族に未来はない」というフレーズが韓国に突き刺さってしまう。
でも、上の記事が出てから8年以上過ぎても、韓国政府がこれに関する調査を実施したというニュースは聞いたことがない。
基慰安婦の人たちを支援する団体が、ベトナム人慰安婦を記憶するための造形物を建てたという話も耳に入ってこない。
この闇歴史を知っている国民はほとんどいないはずだ。
ラオダイハン問題やラムザイヤー論文を今更のように欧米メディアが取り上げるのも、反米(朝鮮戦争時の米軍)だと米政府にバレた為でしょうし。