1789年のきのう10月5日、フランスの首都パリで、マドモアゼル(お嬢さん)ではなくマダム たちが激怒した。
この時の主婦たちの怒りはすさまじく、集団でパリから約22㎞離れたヴェルサイユ宮殿まで移動し、中にいた国王ルイ16世の一家をパリに連行するレベル。
以前からパンの価格が高騰し、入手が困難になり、主婦たちは苦しい生活に強いられてきた。そしてついにこの日、民衆の怒りは限界突破する。
主婦を中心に約7000人の人々がパリの広場に集まった後、「パンをくれ!」と叫びながら、国王や議会に自分たちの困難な生活を訴えるため、ヴェルサイユに向かって行進をはじめた。
「敵はヴェルサイユにあり!」
当時、王妃マリー・アントワネットは税金をバンバン使い、この上なく優雅な生活を送っていた。
パリの農民にはお金がなく、パンも買えない状況だと聞いた時、彼女は伝説のひと言を放ったという。
「パンがなければケーキ(ブリオッシュ)を食べればいいじゃない」
王や貴族などの上級国民はぜい沢な生活をエンジョイしていて、庶民の苦しみを理解していなかったことは事実だが、彼女がこんなセリフを言った記録は残されていない。
マリーさんは、当時のフランス社会の格差を示すために利用され、言ってみればもらい事故の被害者になったようだ。
王侯貴族どもは、自分たち庶民の犠牲の上で、こんなゴージャスライフを送っている。
怒りに燃える女性たちの歩みを軍隊が阻止することはできず、兵士らはこの行進の後をついて行くだけ。
ヴェルサイユ宮殿まで歩き続ける間、この行進に参加する人はどんどん増え、武器や大砲まで持ってくる人もいたという。
もう、かっぱえびせん状態で、誰も止められない。
民衆がヴェルサイユ宮殿に到達すると、数人の女性が代表としてルイ16世と話をして、食料庫の解放を認めさせた。が、民衆の怒りを収めるには、これだけでは不十分。
一部の市民は宮殿に乱入し、近衛兵(スイス傭兵)を殺害して略奪を始めた。
「わたし、大ピンチじゃん!」と危険感を覚えたマリーアントワネットは、隠し通路を使ってルイ16世のもとへ避難する。
しかし結局は、国王でさえ怒り狂う主婦たちには逆らえず、「パリへ戻れ!」という要求に屈して、パリまで連行された。
国王一家はパリのテュイルリー宮殿に入れられ、その後はパリ市民に見守れながら、ではなくて、監視されながら生活するハメになる。
そんな不自由で屈辱的な環境が嫌になり、国王一家はウィーンへ脱出しようとしたが、それは失敗し、またパリへ連れ戻された。(ヴァレンヌ事件)
「ヴァレンヌ事件」は王が国や国民を見捨てたのだけど、結果的には、王家は信頼を失い、民衆から見捨てられることとなる。
この後、ルイ16世とマリーアントワネットは死罪を言い渡され、ギロチンで首を切断された。
主婦の怒りは、歴史を変えるほどオソロシイのだ。
民衆(おばちゃんたち)がヴェルサイユ宮殿に突入して衛兵を殺害する。
知らせを聞いたマリーさんは全速力で逃げる。
コメントを残す