【指導者ガチャ】日本とタイが独立を維持できた理由

 

2021年の流行語大賞に、ノミネートされたワードが「親ガチャ」。
子どもの人生は親のスペックによって左右される…というのは家庭の話で、国民にとっては「指導者」が重要になる。
このガチャに外れ、たとえばトップが私利私欲のカタマリのような人物だったら、国民の不幸はすでに予約済みだ。
その点、19世紀後半の日本とタイは「指導者ガチャ」に成功したと言ってヨシ。
明治天皇とラーマ5世を“引き当てた”日泰は、ゲームでいうなら「これで勝つる!」といった状態になったのだから。

 

タイの伝統的な姿のラーマ5世

下は洋装のラーマ5世
明治天皇と同じく、タイの国王では初めて洋服を着たのでは?

 

きのう10月23日は、タイではチュラロンコーン大王記念日だった。
*チュラロンコーンとは、ラーマ5世が王子だったころの名前。

ズラリといるタイの歴代国王の中でも、特に素晴らしい功績を残した王は「大王(マハーラート)」へグレードアップされ、国民からはその尊称で呼ばれている。
ラーマ5世はそんな偉大な王の1人だ。
尊敬する王についてアンケート調査をすれば、ラーマ5世はそのランキング(不敬?)でトップか、少なくともトップ3には入る。
ラーマ5世は 1910年10月23日に亡くなったから、現在、この日はタイの祝日となっていて、国民は王に感謝をしたり、祈りを捧げているらしい。

 

ラーマ5世の騎馬像(トップ画像)にひざまずいて祈る国民
これはタイの日常風景

 

ラーマ5世と明治天皇はホントによくかぶっている。
まず、在位期間はラーマ5世が 1868年から 1910年で、明治天皇が 1867年から 1912年だからほぼ同じ。
そして、19世紀後半は帝国主義の世の中で、弱い国は強国の植民地にされていた。
アジアの国々にとっては、西洋列強の足音が聞こえてきた不気味な時代で、誤った方向に進むと、西洋諸国の“奴隷”にされてしまう。
そんな厳しい国際情勢の中で、名君が生まれた日本とタイはラッキーだった。

 

 

「変わらないためには、変わらないといけない」

西洋列強の脅威にさらされていたこの時期、アジア諸国はまさにそんな状態にあった。
国内改革をすればいいという単純な問題ではなく、まずは正しい方向を見定めて、政治や社会制度を根本的に変えないといけない。
タイと日本はそれに成功したから、アジアの中では、主権と自由を守ることのできたレアな国となる。

日本の近代化改革は「明治維新」、タイの改革は「チャクリー改革」という。
この時代、西洋の侵略を防ぐためには、西洋の国に文化や文明を学び、それを導入して自国を強く豊かにするしかなかった。
これは、それまでのやり方を否定することになるから、どうしても国内に反対勢力が生まれてしまう。
それと対峙しながら、改革を進めていかないといけないから、柔軟性と覚悟が必要になる。
また、西洋にある良さげなものを「コピペ」をすればいいワケではない。
日本とタイに必要なものをピックアップし、それぞれの国に合ったやり方に変えないといけないから、観察眼や知性も要求される。

タイと日本はラーマ5世と明治天皇のもとで、西洋の制度をアレンジし、政治、軍隊、教育を変えて近代国家となった。
両国で、鉄道、電話、電信、郵便が整備されたのもこの時代だ。

 

日本との大きな違いとしては、チャクリー改革では、ラーマ5世が奴隷を解放したことがあげられる。
ラーマ5世は、アメリカで奴隷解放が内戦(南北戦争)につながったのを見て危機感をおぼえた。
それで、彼は奴隷やそれに近い人たちを段階的に解放していったから、アメリカのような混乱は回避された。(Chulalongkorn
これによって、欧米でタイの評価は急上昇し、もう「野蛮な国」とは見られなくなる。
この人道的対応は後に、不平等条約改正の一因にもなった。
タイ人に、ラーマ5世を偉大な指導者と考える理由を聞くと、この奴隷解放をあげる人が多い。

 

タイと日本の隣国であるビルマと中国は、変わるべきタイミングでそれができなかった。
ビルマも中国も、時代に合わせて国内の制度を変えようとする改革派を処刑し、近代化するチャンスを自分でつぶしてしまった。
その結果、ビルマはイギリスの植民地となり、中国は西洋諸国の半植民地状態となる。
日本とタイが独立を維持できた大きな理由は、「指導者ガチャ」に恵まれたからだ。
それと、隣国が「しくじり先生」になってくれたから、反面教師にさせたもらった面もある。

 

おまけ

日本にも、タイのチュラロンコーン大王記念日みたいな記念日はあった。
1912年に明治天皇が亡くなった後、「明治天皇の功績を世に伝えたい」という国民の思いから、天皇の誕生日である11月3日が「明治節」という祝日に制定された。
それが戦後、「文化の日」と改名され、現在に至る。
今の日本には、明治時代を振り返る特別な日はないのだけど、困難な時代を乗り越えた日本人のこと、時々でいいから……思い出してください。

 

 

外国人から見た不思議の国・日本 「目次」

【不敬罪】周囲のタイ人を一瞬で、凍りつかせた日本人の行為

ドイツの高級ホテルに愛人20人。タイ国王に国民の思いは?

日本とタイの関係・天皇と国王の友好の魚「プラー・ニン」

国王ラーマ5世が「神」と尊敬されている理由・「タイの三大大王」

日本とタイ(東南アジア)の仏教の違い① 飲酒・肉食・喜捨(タンブン)

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。