水戸光圀が黒人を家臣にした理由は、北海道にあり

 

先日、あるアイドルの一言が炎上した。
北海道でのライブイベントを終えた後、そのアイドルは 「X」に、「日本帰ってきたよ~ さみしいきもちと安心のきもち」と飛行機の絵文字付きでツイートすると、一部のネットユーザーが反発した。

・先人達が命を賭してソ連から守りきった北海道を、、、悲しい気持ちになりました。
・どういう人生送ってきたら、北海道を外国と誤認できるんだ。‬
・自分は道民だが、何とも思いませんけどね。
・本州って言葉、知らないんじゃないか。
・北海道に渡米してたら間違いでは無い

「群馬に入る時は関所で通行手形を見せることがルール」と、群馬県民が言ったらネタで済まされるが、他の出身者が気軽にいじってはいけない。
予想外の炎上騒ぎになり、彼女は「北海道の歴史について調べなおし〜」と謝罪した。

 

さて、北海道について調べた人物といえば、江戸時代に水戸藩の藩主をしていて、現代の日本では「水戸黄門」で知られる徳川 光圀(みつくに:1628年〜1701年)がいる。
この時代、本州にいた日本人の頭の中では、北海道の認識はあいまいだったから、「外国」と言っても特に問題はなかったはずだ。

ちなみに、彼の「圀」という漢字は則天文字の一つで特別な漢字だから、すごく読みにくい。

不思議な日本の漢字②”幽霊文字”と中国人が驚いた漢字

 

光圀さんはチャレンジ精神と好奇心にあふれた人だった。
彼は初めて黒人を見た時、当時のヨーロッパ人のように嫌悪感や拒否感を示すことはなく、オランダ商人から2人の黒人奴隷を引き取った。

このとき光圀は、まだ実態がよく分かっていなかった蝦夷地(北海道)を調査して、もし可能なら、貿易をしようと考えていたから、その調査のために2人の黒人を雇うことにしたのだ。
はるか遠い異国から来た彼らは健康的で、そこらの日本人よりも力がありそうだったから、光圀が採用したと思われる。
光圀も一緒に行ったのか、それとも調査団を派遣しただけかは知らないけど、とにかく2人の黒人と日本人の一行は蝦夷地を探索するために船に乗って出発した。

調査を終えて、2人が水戸藩に戻ってくると、藩主に「日本帰ってきたよ~ さみしいきもちと安心のきもち」と報告したという。
そんな話はしらんけど、光圀は彼らの働きっぷりが気に入ったらしく、2人を正式な家臣として採用することにした。
この黒人の子孫は、明治時代の廃藩置県まで水戸藩に仕えていたという。

光圀のこんな発想や行動は織田信長とよく似ている。

織田信長の家来となった黒人奴隷(弥助)と本能寺の変

 

水戸黄門がスケさん・カクさんを従えて諸国を旅をしたというのは創作で、2の黒人奴隷を側近にしたというのが史実だ。
なんか逆転しているような気がするけど、これも日本の歴史の1ページ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。