ネットには「明治天皇はじつはすり替えられた」という説がある。
南北朝時代、天皇家は2つに分かれていて、南朝の血筋を引く大室寅之祐こそがホンモノの明治天皇だという。
もちろん、これには根拠がないから、まともな人間なら誰も認めていない。
歴史ではなく、異世界転生ものと同じレベルの創作だ。
でも、定説を否定して、キメ顔で自説を唱えたがる人間はよくいる。
さて、きょう11月16日は、1911年にアイツが内閣総理大臣に就任した日らしい。
中国を旅行中、北京で日本語ガイドと一緒に天壇へ焼肉を食べに…、ではなくて、明朝と清朝の皇帝たちが天の神(天帝)に祈りを捧げた祭壇である天壇を見に行った。
トップ画像は天壇にある代表的な建物「祈年殿」で、皇帝はここで五穀豊穣を神に祈ったのだ。
政府が国民のハングリーを放置すると、それはアングリーに変わり、反乱がおきて王朝が倒されるかもしれない。
だから、ここで五穀豊穣を願うことは皇帝にとって超大事な仕事だった。
ただ、天壇で最も重要な建物は「圜丘壇」で、皇帝はここで豊作を願ったり、雨乞いをおこなったりした。
(だから焼肉店の名前が天壇になった?)
ガイドがそんな説明をして、「ところで、お客さんは中国の最後の皇帝が誰か知ってますか?」と聞いてくる。
あまり舐めないでもらいたい。
中国のラストエンペラーは、愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)ってことぐらいは知ってるわ。
でもって、中国皇帝の中で彼だけが火葬されたから、「火龍」(龍=皇帝)というアニメの幹部キャラみたいな別名を持つことも。
ボクがそんなことを言うと、ガイドはニヤニヤした顔で「じつは違うんですよ」と言う。
なんだろう、この罠にはめられた感。
袁世凱
ガイドが言うには、中国最後の皇帝は1911年11月16日に、清朝の内閣総理大臣に就任した袁世凱(えんせいがい)。
その年に辛亥革命がぼっ発し、清朝は反乱軍を鎮圧できる有能な指導者が必要となり、袁世凱が選ばれた。
「御意」と彼は拝命し、賊軍をぶっつぶすために軍を率いて出発する。
「やれやれ、これで安心だ」と清朝政府の人間は思ったのだろうけど、袁世凱はじつは敵である革命軍と内通し、清を裏切ってしまう。
これでジ・エンド。
1912年に皇帝・溥儀が退位し、清朝は滅亡する。
同じ年に、袁世凱は中華民国臨時政府の臨時大総統となった。
そして、1915年には中華帝国を建国すると、自身が皇帝として即位し、元号を洪憲(こうけん)と定め、袁世凱は洪憲皇帝を名乗る。
中国の皇帝は天壇まで足を運び、この神聖な場で即位式をおこなっていたから、袁世凱もそれをした。
ガイドいわく、この儀式をおこなった最後の人物が袁世凱だから、彼が中国最後の皇帝になる。
でも、それはいわば「自作自演」で、袁世凱は世界に中心で皇帝を宣言したにすぎない。
しかも、周囲の支持を得ることはできず、彼はわずか4ヶ月ほどで退位に追い込まれた。
これでは、人気の出なかったマンガが連載を打ち切られたようなものだ。
結局、現代の中国では、袁世凱は正式な皇帝と認められていないから、ラストエンペラーはやっぱり溥儀になる。
「って思うじゃないですか、でも、じつは違うんです」と定説や常識をドヤ顔で否定して、持論を展開する人間はどこにでもいる。
あのガイドがいまでも仕事を続けているのかはナゾ。
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