13世紀の明暗 頂点に立つ欧州の教皇・失墜する日本の天皇

 

きょう11月27日は、1095年にローマ教皇ウルバヌス2世が「聖地エルサレムをイスラム教徒から奪い返せ!」とキリスト教徒へ呼びかけた日。
この宣言によって、ヨーロッパでキリスト教徒の軍団である「十字軍」が結成され、エルセサレムへ向かって出発した。
エルサレム奪回はキリスト教徒にとっては神聖な義務だが、イスラム教徒にしてみたら、十字軍は破壊と死をもたらす侵略者でしかない。
これ以降、約200年にわたって十字軍の遠征は何度も行なわれ、おびただしい数のイスラム教徒(とキリスト教徒)が亡くなった。
当時のヨーロッパ社会においてローマ教皇の影響力は絶大で、これほど多くのキリスト教徒を動かす力があったのだ。

 

日本の天皇は英語では「エンペラー」と呼ばれている。
しかし、天皇は神道の最高神アマテラスの子孫で、日本の宗教的な象徴だから、その意味ではヨーロッパの皇帝よりもローマ教皇に近い。
1095年にウルバヌス2世が十字軍の実施を宣言したころ、日本では鎌倉幕府が成立した。
鎌倉幕府ができた年については、源頼朝が征夷大将軍になった1192年よりも、頼朝が全国に守護・地頭を設置する権利を得た(=全国の軍事・警察権を握った)1185年が有力とされている。
まぁ、細かいことは置いといて、天皇や朝廷が政治の権利を武士に奪われて“没落”したのだから、ヨーロッパ社会の頂点に立ち、聖地奪還を命じたローマ教皇とは対照的だ。
しかも、このあと格差はさらに広がる。

 

インノケンティウス3世

 

ヨーロッパの歴史で、ローマ教皇の権力が頂点に達したのは、第1回十字軍が行なわれた少し後のインノケンティウス3世 (在位:1198年 – 1216年)の時代。
ちなみに、この教皇は第4回十字軍を呼びかけた。
インノケンティウス3世(以下、インケンさん)は、自分の気に入らない神聖ローマ帝国の皇帝を暗殺し、都合のいい人物を皇帝にするなど、王の権利よりも教皇の権利が上であることをヨーロッパに示した。
そして、インケンさんは「教皇は太陽。皇帝は月」と豪語する。
この言葉は、太陽である教皇は月である皇帝はよりも優れた存在で、月は太陽の光(権威)を受けているといった意味。
教皇はヨーロッパの王たちを見下せるほど、強大な権力を持っていた。

そんなインケンさんが亡くなってから5年後、日本では承久の乱がぼっ発。
後鳥羽上皇は鎌倉幕府を打倒し、政治の権利を取り戻そうとしたが、逆に返り討ちにあい、罰として上皇は隠岐島へ、順徳上皇は佐渡島へ流されてしまう。
鎌倉幕府の執権・北条氏は、立場としては天皇の家来でしかない。
天皇と上皇が家来に島流しにされるという屈辱を味わったのは、日本の歴史でこれが初めてだ。
これによって、朝廷に対する武家政権の優位は決定的となったから、1221年の承久の乱の結果をもって、鎌倉幕府が成立したとする見方もある。
その後、朝廷は幕府によって言動を監視され、皇位継承さえ管理されるようになった。
そのころのローマ教皇は、神聖ローマ帝国の皇帝を決める力さえあったのに。
13世紀のはじめ、ヨーロッパの教皇は絶頂期にあった一方で、日本の天皇は地位や権威が失墜し、両者の立場は本当に明暗が分かれていた。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。