日本の歴史には「にほーん!!!! はやくきてくれーっ!!!!」と、外国に頼まれてしまった例外的な出来事がある。
今回は、その2つの事例を紹介させてもらいたい。
まずは、663年の「白村江(はくすきのえ)の戦い」だ。
古代の日本は、朝鮮半島にあった百済と友好関係を結んでいて、百済から仏教が伝わったこともあった。
しかし、唐・新羅の連合軍に攻められ、660年に百済は滅亡する。
その後、王族だった鬼室 福信(きしつ ふくしん)など旧百済の人々は日本に助けを求め、祖国を復興するために力を貸してほしいと訴えた。
すると、中大兄皇子(大化の改新で有名)が受け入れ、旧百済の勢力を支援して、唐・新羅と戦うことを決意する。
が、日本に旧百済の残存勢力が加わった軍で、唐&新羅の強力タッグに勝てるはずもなく、大敗北を喫した。
これで、旧百済の人たちは祖国復興の夢をあきらめ、日本へ亡命し、新しい日本の国づくりに協力する。
最後のハワイ王リリウオカラニ
この女王が「アロハ・オエ」の作詞と作曲をした。
1843年のきょう11月28日は、ハワイ王国がイギリスとフランスによって、独立国として認められたメデタイ日。
しかし、そんなハワイ王国は50年しか続かなかった。
19世紀の後半、ハワイ王国は西洋列強、特にアメリカに対し、「国を奪われてしまうのでは?」と脅威や不安を感じていた。
それで、1881年にカラカウア王が来日して明治天皇に謁見すると、日本とハワイの関係強化や日本主導によるアジア共同体の創設、さらにハワイ王国の王女と皇族(山階宮定麿王)の結婚を提案した。
カラカウア王は、これが実現すればハワイ王国の安全は守られると考えたが、日本がそれを認めたら、アメリカを敵に回してしまう。
ということで、日本はこの案をとっても丁寧にお断りした。
防護巡洋艦「浪速」
1893年に、カラカウア王が恐れていた事態がぼっ発。
アメリカの指導で革命がおき、女王リリウオカラニは廃位に追い込まれ、ハワイ王国は滅亡した。
その後、1898年にアメリカに併合され、ハワイ準州となる。
革命がおきた際、王を支持する王党派は日本に援助を求めた。
日本政府はこれに応え、1893年に現地にいる日本人の保護を理由に、東郷平八郎率いる巡洋艦「浪速」など3隻をハワイへ派遣した。
そして、ホノルル軍港に停泊して、アメリカのハワイ併合の動きをけん制する。
日本の軍艦が入港したのを見て、女王を支持するハワイの人たちは涙を流して喜んだという。(ハワイ併合)
でも、ここまでが限界。
アメリカとガチで対立するわけにもいかないから、日本は翌年には軍艦を撤収し、ハワイから手を引いた。
ということで、663年の「白村江の戦い」や1893年の「ハワイ革命」で、外国から助けを求められた日本は、前者では軍を出して戦い、後者では軍艦を派遣してにらみをきかせたが、結局どちらもうまくいかなかった。
自国の安全保障を他国に頼る国は消滅する、というルールはきっと現代でも有効だ。
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