「亡命」という漢字を見て、こんな疑問が浮かんだことがある。
国が滅びることを「亡国」と言うのに、なんで人が国外へ逃げ出すことをこう表現するのか?
これだと「命をなくす」いう意味になるのでは?
調べてみたら、この場合の「命」はライフではなくて、「戸籍」という意味だった。
「戸籍をなくす」ということから、外国へ移動することを亡命と言うようになったらしい。
この言葉は古代中国の書『史記』に出てくるから、2千年以上前の歴史がある。
ついさっき、香港の民主活動家である周 庭(しゅう てい)さんがカナダに亡命したというニュースを見た。
2019年〜20年に香港で、市民の4人に1人以上が参加したと言われる大規模な民主化デモが行なわれた。
普通選挙などを要求したこの民主化デモで、「女神」と呼ばれ、シンボル的存在となったのが周庭さん。
彼女は日本語を話すことができるから、日本のメディアにもよく登場して香港の民主化を訴えていた。
しかし、民主化デモは成功せず。
周庭さんは違法な集会を扇動したという罪で、2020年に有罪判決を受け、禁錮10か月を言い渡された。
彼女が出所した直後、魂の抜けたような表情をしていたのは印象的だった。
彼女は取り上げられたパスポートを返してもらい、カナダへ移動して「香港に戻らないことを決めた」と事実上の亡命を宣言した。
もし、香港当局がこれを予想できなかったとしたら、今度はパスポートを返した職員が亡命しないといけなくなるかも。
このニュースに日本のネット民の感想は?
・よかったわ
心配してたよ
・これ家族とか大丈夫なんか?
・亡命したって事は独立諦めたのか
・オタクアピールしてたけど何もしなかった日本人にはうんざりしてる事だろうな
・仕方ないよな・・・
勾留された時誰も助けてくれなかったし
日本のメディアでは、民主化デモや周庭さんの活動に対して支持的な論調が多かったので、今回は別の視点を紹介しようと思う。
知人の香港人は日本が好きで、来日して語学学校で日本語を学んでいた。
帰国したあとも、何度か日本へ旅行に来て、「明日会えますか?」といきなり連絡がきてビックリしたことが何度もある。
以下の内容は、きょねん彼女と会ったときに聞いた話だ。
知人はいま40代だから、1997年に香港がイギリスから中国へ返還された前後の状況を知っている。
そのころは、「香港明天更好」(香港の明日はもっとよくなる)という言葉が流行っていたらしい。
で、実際に香港は良くなったのか?
それは自分の考え方や努力しだいで、香港政府に求めても仕方ないというのが知人の意見。
彼女は政府を変えようとするよりも、自分で自分を幸せにするために努力するべきと考えているから、民主化デモには否定的だ。
デモや周庭さんを支持していたのは主に若い人たちで、知人の世代の人たちはデモを批判的に見ていたから、香港社会は分裂した。
彼女は香港は中国の一部で、独立なんて現実的には不可能と思っていたから、デモを冷ややかに見ていた。
当時はデモに批判的なことを言うと、若者が怒って反論を超え、攻撃されることもあったから、職場や街中で気軽に話す雰囲気はなかった。
自分たちは香港政府を批判するが、自分たちへの批判は許さないという民主化に、彼女は疑問を感じていた。
抗議デモの嵐が過ぎ去ったあとの香港社会を見て、彼女が感じるのは虚しさと怒り。
たとえば、民主化勢力の一部が意図的にフェイクニュースを広め、若者を過剰にあおっていたことが判明している。
香港警察がデモの参加者を厳しく取り締まったことは事実。
でも、警官が女性をレイプしたり、参加者を殺害したりしたというニュースが流れたこともあったけど、あとでウソだと分かった。
あの民主化運動は若者の憎悪を不必要にあおり、香港社会を混乱させ、経済を滅茶苦茶にして終わった。
香港ではデモが発生する前から、言論の自由が認められていて、街中には香港政府を批判するポスターがあったし、市民が政府を批判することもできた。
(メディアがそれをするのは難しかったが。)
でも、あの民主化運動の結果、当局の締め付けが厳しくなって、かえって自由は無くなってしまった。
昔は自由に言えたことが、今では心の中で思うことしかできない。
デモが行われていたとき、「イギリス時代を知っている香港人が中国寄りなのはおかしい」と非難されたけど、自由や権利は暴動を起こす理由にならない。
勝算もないのに民主化デモをしてくれたおかげで、香港市民の中ではまだ分裂が続いているし、以前よりも住みづらい社会になってしまった。
その点では、香港は「明天更好」ではなくない。
コメントを残す