1914年に始まった第一次世界大戦は、人類の歴史上、最も多くの人が犠牲になった戦争のひとつで、軍人と民間人の死者が1600万人に達し、負傷者は2000万人を超えた。
そんなことから、第二次世界大戦が始まるまで、この戦争は「世界戦争 (World War)」 や「大戦争 (Great War)」 と呼ばれていた。
ここまで犠牲者が急増した原因は、戦車や機関銃、毒ガスなどの新兵器が登場したことにある。
当時、世界で最も科学技術が進んだ国々が、できるだけ効率的に人を殺す方法を考え続けた結果だ。
しかし、こんな地獄のような戦いの中でも、人間性を感じられるような「ほっこりした瞬間」はあった。
左下の異様な姿の兵士は、毒ガスに備えてガスマスクをつけているイギリス軍の兵士
1914年の12月24日から25日にかけて、最前線で戦っていたイギリス軍とドイツ軍の兵士が一緒にクリスマスを祝う出来事が起きた。
両軍の兵士は塹壕から出てきて、酒やタバコ、チョコレートなどを贈り合ったり、一緒に記念写真を撮ったりしてクリスマスを楽しんだという。
サッカーの試合まで行われたというから、もはや戦争ではなくて交流会だ。
ただ、激しい戦闘が続いていたところもあったから、前線の全てで、こんなほのぼのした雰囲気があったわけではない。
クリスマスの休戦を祝う英独軍の将校たち
アニメを見ていて、男性キャラが「大丈夫だ、この戦いはすぐに終わる。来月には戻ってくるさ」と笑顔で言った場合、それは長期戦のフラグか、最悪の場合は死亡フラグになる。
第一次世界大戦が始まったころ、兵士たちはすぐに終わると考え、「クリスマスまでには帰れるさ」と言っていたという。
しかし、実際には、これはとんでもない不幸フラグになった。
戦いは長期戦となり、両軍の兵士たちは疲労やストレスを蓄積していく。
このとき両軍の塹壕線は、大声を出せば聞こえるくらい近かった。
それで、そのうち兵士たちはお互いに大きな声で挨拶(あいさつ)をしたり、ニュースを伝え合ったりするようになる。
時には、死体を回収するために、非公式の停戦協定を結ぶことさえもあった。
多くのドイツ兵はイギリスに住んでいた経験があったから、言葉は通じるし、社会の事情も理解していた。
イギリス軍には、ドイツ兵がサッカーについて質問したという記録も残っている。
お互いが敵として殺し合いをしながらも、奇妙な交流も生まれていた。
その延長で、1914年の12月24日にこんな出来事が起こる。
クリスマスの日、ドイツ軍の兵士たちが塹壕やクリスマスツリーにキャンドルを灯し、クリスマス・キャロル(キリストの誕生と関係した歌)を歌って祝った。
それを聞いたイギリス軍の兵士たちは、イギリスのキャロルを歌って応えた。
The Germans placed candles on their trenches and on Christmas trees, then continued the celebration by singing Christmas carols. The British responded by singing carols of their own.
サッカーの試合が行なわれたことを伝える新聞記事
そして、両軍の兵士たちはクリスマスの挨拶を交わし、塹壕から出てきて、食べ物やタバコ、お酒などのプレゼントを交換した。
こんなクリスマス休戦について、英語版ウィキペディアでは、
a symbolic moment of peace and humanity amidst one of the most violent conflicts in human history.
(人類史上、最も暴力的な戦いのひとつの中で見られた、平和と人間らしさを象徴する瞬間)
と表現されている。
1600万人が死亡した地獄の中でも、こんなあったかい瞬間があった。
クリスマス休戦を記念して、ベルギーに立てられた十字架
戦争を始める“勇気” アメリカが第一次世界大戦に参戦した理由
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