こんな不吉なロケットスタートを経験したのは初めてだ。
元日の午後4時ごろ、石川県能登地方で、観測が始まった1885年(明治18年)以降で最大規模の地震が起こり、現時点で64人が亡くなっている。(令和6年能登半島地震)
翌2日には、午後6時ごろに羽田空港で日本航空の旅客機と海上保安庁の航空機が衝突し、旅客機が炎上して航空機の乗組員5人が死亡した。(日本航空516便衝突炎上事故)
年が明けてから、大災害と大事故が2日続いたことで、ネット上には不安や動揺が広がっている。
・1日2日とすげえだろ明日何が起こるんだ
・年初から災害に事故と呪われているな
・国内でこのレベルの事故って十年以上起こってなかったよな
・2024年の日本を象徴しなきゃいいけど・・・
・なんか凄い正月になったな・・・一生記憶に残るわ
昔の日本人だったら、きっとこのタイミングで改元を行った。
いまの元号・令和は、「令(よい・立派な)」と「和」が合体してできた。
その由来は、「万葉集」に載っているこの歌にある。
「初春の令月にして、気淑(きよ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」
英語にすると「ビューティフル・ハーモニー(美しい調和)」だから、こっちのほうが分かりやすいかも。
令和、平成、昭和、大正…と、過去の元号をたどっていくと、645年の「大化」に行きつく。
年に称号を付ける制度は約2千年前、前漢の武帝から始まったという。
古代中国では、元号には「絶対的な権力者である皇帝は民も時間も支配する」という意味があった。
この制度は朝鮮や日本、ベトナムなどにも広がったが、歴史の中で次々と廃止されていき、元号が文化として残っているのは世界で日本だけ。
現代のように1人の天皇に対して、1つの元号を定める「一世一元の制」が始まったのは明治時代からで、それ以前の日本では、めでたいことがあると元号を変える「祥瑞(しょうずい)改元」や、不吉なことがあると変える「災異(さいい)改元」があった。
疫病の発生や兵乱、地震や暴風雨などの自然災害が起こると、厄災の連鎖を断ち切るために改元が行なわれた。
たとえば1596年に大地震が発生し、人々が不安になると、元号は「文禄」から「慶長」に改められている。
初めての災異改元は平安時代にあったという。
当時の日本人は怨霊を恐れ、陰陽思想や御霊信仰が発達していたから、さもありなん。
内藤湖南(慶応2年 – 昭和9年)
戦前の日本を代表する東洋史学者で、「京大の学宝」と呼ばれた内藤湖南によれば、昔の日本人は元号や改元についてこんな考え方を持っていた。
改元しなかつたために地震があつたとか、雨が多かつたとか、騷亂が起つたとか言ふやうな色々な苦情が起る、革命説を採らなかつたから斯ういふことが起つたのだといふ風に文句を言はれ
「日本文化の独立 内藤 湖南」
地震や噴火、津波といった自然災害が多いのはこの国の宿命だから、日本人は昔から、こうした天災と向き合って生きてきた。
江戸時代の日本人は地震のメカニズムを知らず、「地震が発生する原因は、地下にいる巨大ナマズが暴れたから」と信じていたから、感じる恐怖や不安は相当なものだったはず。
そのため政府は改元を行い、明確な区切りをつけることで、人びとの気持ちをリセットする効果を期待したと思われる。
現代でも、政治家にとって、国民の不安を軽減させることは超重要なお仕事。
令和に生きる日本人でも、正月に2日連続で大災害と大事故が発生したら、「災異改元」を求めたご先祖様の気持ちが分かるのでは?
または、大仏の建立を思い立った聖武天皇の思いが。
いまと違う改元理由 “一世一元”に明治の日本人はどう思った?
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