なるほど。
きょう1月5日は、1905年に乃木希典大将とステッセル中将が水師営の会見を行った日か。
ロシアが南下政策をとり、中国東北部へ進出してくると、日本は独立を守るために戦うことを決意し、日露戦争がぼっ発。
そして、その中で起きた旅順攻囲戦では、両軍を合わせて3万人以上の死者を出した末にロシア軍が降伏し、日本が勝利を収めた。
後にソビエト連邦の初代指導者になるウラジーミル・レーニンは、旅順での敗北を「ロシア専制の歴史的な破局」と表現した。
たしかに、この結果はロシアにとって残酷だった。
激戦が行なわれた「203高地」
『ゴールデンカムイ』のメインキャラ「不死身の杉本」は、この戦いに生き残って帰国したという設定。
旅順攻囲戦で、日本軍を指揮していたのが乃木希典。
彼について、英語版ウィキペディアには、日露戦争中のロシア軍の捕虜と中国の民間人に対する日本人の振る舞いは、世界中の尊敬と賞賛を集めたと書かれている。
the conduct of the Japanese during the Russo-Japanese War towards both prisoners and Chinese civilians won the respect, and indeed admiration, of the world
江戸時代の終わりに生まれた乃木希典は武士道をとても重視し、その考え方や態度を部下たちにも徹底させていた。
そんな彼の価値観が「水師営の会見」で表れた。
乃木はこの場で、敗軍の将であるステッセルに対し、とても丁寧で紳士的な態度を取る。
普通なら認められないはずの帯剣をステッセルに許し、乃木は対等な立場で酒を酌み交わした。
外国の従軍記者たちが会見の写真を何枚か撮りたいと要求すると、乃木はステッセルたちの名誉を重尊し、「後々まで恥を残すような写真を撮らせることは日本の武士道が許さぬ」と一喝し、写真撮影は一枚だけしか認めなかった。
旅順要塞の攻略やこうした態度が世界に広く報道され、乃木希典は海外で尊敬される日本人となる。
水師営の会見
乃木とステッセルが中央で勝者と敗者ではなく、“友人”のように並んで座っている。
水師営の会見が行われる前、明治天皇が乃木に対して、祖国のために力を尽くしたステッセルの名誉を守るよう伝えていた。
乃木は、この天皇の意向にしたがって行動したことになる。
敗者の名誉を尊重する武士道の考え方は、当時の日本全体にあったから、「won the respect, and indeed admiration, of the world」という名誉は明治日本人に対するものと見ていい。
日露戦争が終わった後、戦いに破れたステッセルは責任を問われ、1908年に軍法会議で死刑宣告を受ける。
しかし、乃木希典が助命運動を行ったことで、後に禁錮10年に減刑された。
こういう人物は、21世紀の価値観から見ても尊敬に値する。
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乃木将軍をこのブログで先生から知りました。 私は乃木将軍のエピソードを私のブログにも紹介して、いいコメントをいただきました。日本は”武の国”と言ってもかまわないほど”武”が基本となって国を発展させたと思います。一方、朝鮮は500年間、徹底的に”文の国”でしたね。しかし、その”文”というのも実際には中国の朱子、性理学がすべてでした。国家の基本存在理由である「富国強兵」とは関係のない両班だけの文遊びに過ぎませんでした。その結果、20世紀初頭、日本は世界最強国の一つとして君臨するようになり、朝鮮は世界最貧国の一つに没落し、日本に併合される屈辱を受けました。”夢”の中を500年間迷った朝鮮、”実質”を追求した日本の違いはそんなものでした。現在、韓国の政界で再びそのような夢を追求する勢力が大きく存在することは心配にならざるを得ません。
韓国は歴史上、何度も中国から攻撃を受けてきました。
朝鮮時代は中国との関係を良くしていれば、国は安全と考えていたのでしょう。
それである日、南から秀吉の軍に攻撃を受けて大きな被害が出た。
朝鮮時代、両班が現実的な実学を軽視し、性理学に偏重したのは大きな失敗と思います。
いまの韓国は、企業は現実的な思考や方法を採用していて、国際的に有名な企業も多いのですが、政治家は相手のミスを指摘するだけの「言葉遊び」に集中している面がありますね。