インド航路を“発見”したガマ、イスラム教徒に残虐非道を働く

 

日本三大祭りと言えば、「東映マンガ祭り」「花王ヘアケア祭り」「マザキ春のパン祭り」が知られている(たぶん)。
そのうちの一つ、「春のパン祭り」がいまピンチらしい。

エジプトとアラビア半島の間に紅海があって、親イラン武装勢力のフーシ派がそこを通る民間商船を襲撃している。
過激なイスラム思想を持つ彼らがターゲットにするのは、「イスラエル寄り」と見なした国の船。
フーシ派の戦闘員が船を乗っ取り、乗組員を誘拐するなどの海賊行為を繰り返し、物流を妨害しているから、いま世界各国が対応に頭を悩ませている。
紅海(スエズ運河)を通れないとしたら、ヨーロッパからインドやアジアへ向かう船は南アフリカの喜望峰を越えて進むしかない。
当然これだと、輸送時間と燃料費が大幅に増えてしまう。

この事態が「春のパン祭り」に影響を与えている。
応募シールを集めてゲットできるあの白いお皿は、実はフランスで作られているのだ。
フーシ派の襲撃を避けるため、お皿の輸送はヨーロッパ→喜望峰→インドという遠回りを余儀なくされているため、日本への到着が遅れているという。
フーシ派は日本人の春の楽しみを妨害しないでほしい。

 

 

さて、きょう2月12日は、1502年にヴァスコ・ダ・ガマがインドへ向けて、2回目の航海に出発した日だ。
このガマがしたことを考えると、いま紅海で起きていることは「因果応報」に見えなくもない。

 

ヴァスコ・ダ・ガマ

 

ヴァスコ・ダ・ガマは、ポルトガルの探検家で、ヨーロッパから喜望峰(南アフリカ)を経由し、初めてインドへ到達したヨーロッパ人。
彼の船団が1498年にインドのカリカットへ着き、ガマはインド航路の「発見者」と呼ばれるようになった。
これはヨーロッパにとっては繁栄の、インドやアジアにとっては絶望のはじまりとなる。
インド航路が確立されたことによって、ヨーロッパ各国は本格的にアジアへ進出(侵略)し、後にアジアの国々は植民地支配されるようになった。

 

ヴァスコ・ダ・ガマ、カリカットへ到着するの図

 

ヨーロッパ人がやって来た時、悲劇はすでに起きていた。
ガマは2回目のインド航海を行った際、1502年にカリカット近くの海上で、とんでもない蛮行をしやがった。
50人の女性を含む400人以上のイスラム教徒を乗せた船がカリカットを出港し、聖地メッカへ巡礼に向かう途中、ガマの艦隊が襲撃した。
彼らは巡礼船を襲って貴重品を奪い、乗客や船のオーナー、エジプトの大使などを閉じ込め、焼き殺した。

da Gama looted the ship with over 400 pilgrims on board including 50 women, locked in the passengers, the owner and an ambassador from Egypt and burned them to death.

Vasco da Gama 

 

ガマは船の窓から、女性たちが金や宝石を手に持ったり、赤ん坊を抱き上げたりして命乞いする様子を眺めていたという。

フーシ派の海賊行為とは時代が違いすぎて、同列に考えることはできないが、この当時のヨーロッパ人がイスラム教徒やインド人にしたことは、控えめに言って残虐非道。
そのことは日本人よりも、イスラム教徒がよく分かっているはず。

 

ヴァスコ・ダ・ガマの艦隊

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。