ある晴れた土曜の午後、インド人を誘って河津桜を見に行った。
彼はきょねんの10月に日本に来て、まだ慣れないこともたくさんある分、新鮮な気持ちも失っていない。
そんな彼に日本の第一印象を聞くと、「インドでは感じたことのない規律正しさ」を挙げた。
羽田空港に降りて初めて日本の空気を吸った後、彼はいくつかの電車を乗り継いで浜松市に到着した。
その間、どの駅でも日本人の乗客は列にならんで電車を待っていて、車内で大声を出して話す人もいなかった。彼はとても静かで平和的な雰囲気を感じ、日本人のマナーの良さに感心する。
このインド人の第一印象は、日本では国民一人ひとりがルールや規則をしっかり守っているから、社会が整然としているというもの。
インド社会はその反対で、みんなが自由&好き勝手に行動するから、毎日がカオスらしい。
でも、日本に3年以上住んでいる別のインド人に言わせると、こんなフレッシュマンとは違って、日本人の「ルール順守」はたまに行き過ぎるから、ウンザリすることもある。
日本人が想像する日本人の性格には、きっと「ルールを守る」がある。
同時に、その一点にこだわって、柔軟性を欠くことがあるという欠点も知っている。
最近、大阪の小学校がそんなことをヤラカシて、激怒した両親が市を訴訟を起こした。
両親によると、2022年の5月に行われた1年生の遠足でこんなコトがあったという。
遠足の最中、ある女子児童が水筒のお茶がなくなったから、担任の先生にお茶を買いたいと言ったところ、「お金を使っての水分補給は認められない」というルールを理由に却下された。
結果、児童は熱中症になり、高熱を出して病院へ救急搬送される。
治療を受けて体調は回復したが、両親は収まらない。
その児童はあまり体力がなく、心配した母親が事前に「お金を持たせるのでお茶がなくなったら買ってください」と学校に頼んでいたのに、それを無視された。
さらに、女子児童が「ママを呼んでください」と訴えても、教師はそれもスルー。
そのツケが、約 220万円の損害賠償として返ってきた。
遠足でお金を持ってきて、途中で自販機で飲み物を買うことは、基本 NGというのは分かるとしても、体力や個人差を無視して全員に同じルールを当てはめて、例外は認めないというのはやり過ぎ。
ネットを見ても批判一色だ。
・学校は争う姿勢なのか
こんだけやらかしてんのに
・お茶一本買わす弊害てなんかある?
・むしろ緊急用になんか用意するだろ普通
・怠慢って次元の話じゃねえだろ
虐待だよこんなの
・学校の水飲ませない信仰は何なんだよ
熱中症になったら、下手したら死ぬ。
結果的に、児童の安全よりもルールを曲げないことに固執し、救急搬送させたのだから、市が裁判で勝てるとは思えない。
きまりの意味や目標を忘れて、全体的な視野を失うと致命的な結果をまねく。
ほとんどの学校はこんな判断ミスをしないだろうけど。
これは特殊なケースだけど、日本には「ルールは守ることに意義がある」みたいな雰囲気があって、外国人がよくそれに違和感を感じる。
サドゥーと呼ばれるヒンドゥー教の修行者
彼らは世捨て人で、サドゥーは法的に「死者」とみなされる。
日本とインドの社会はこんなところが違う。
知り合いのインド人女性は、もう日本に4年ほど住んでいて、日本語はペラペラで日本でビックリすることもなくなった。
彼女はまだまだ日本に住むつもりだから、あるとき自動車免許を取ろうと思い立つ。
最初は免許センターでの試験に合格し、免許をゲットすることを考えたのだけど、この方法は安くすむ代わり、日本人は細かいところまでチェックするから、難易度は恐ろしく高いことを知る。
彼女は試験に合格するまでの手間や費用、さらにストレスを考えて、結局、約 30万円を払って自動車学校へ通うことにした。
それで問題なく免許をゲットすることができたが、予想外の「ストレスの連続攻撃」と直面したという。
学校では、インド人的には「ナニコレ? こんなことをする必要ってあるの?」と理解に苦しむようなルールやきまりが山ほどあった。
たとえば、車に乗るときには、前後左右を確認するのは分かるとしても、しゃがんで車の下を見回して「指差し確認」をしないといけない。
*このへんのやり方は自動車学校によって違うはず。
そうする理由は、車の下に子どもやネコがいるかもしれないから、と聞いた。
でも、車に乗るときにそんな動作をする日本人なんて見たことなかったし、知り合いの日本人に聞いても、誰もそんなことはしないと言う。
それは結局、試験に受かるためのルールで、免許を取ったらもう関係ない。
インド人の彼女としては、実際に使わない動作は必要ないし、学校はそんな“ムダ”を省いて、その分費用を安くしてほしいと思う。
まわりの日本人は、「不必要なルールや動作はあると思うけど、だからといって、抗議するとかめんどくさい」ということで、自分だったら試験に受かるために、言われたことをそのままやると言う。
彼女は友だちの話を聞いて、日本人は素直で、インド人は自立しているから、「これがルールです」という言葉の持つ強制力や説得力が違うのだと理解した。
インドの学校だったら、子どもが遠足で勝手に屋台で食べ物を買うことは十分あると思う。
彼女も日本に住む以上、「郷に入っては郷に従え」の原則には従うつもり。
でも、日本人はルールの意味や目的を深く考えないで、ただ守ることに意義を感じているような気がして、それには異議を唱えたい気持ちがあると言う。
同時に、そんな「ルール厳守」の精神が浸透しているからこそ、自分が日本で快適に暮らせることはわかっている。
だから、全面否定することはできない。
それに、自分の頭で考えて、勝手にルールを変えてしまうインド人にも問題はある。
日本に来て、規律正しさやマナーの良さに感動したインド人も、3年ぐらいしたらその気持ちが薄れて、きっと彼女と同じストレスを感じるようになる。
インドの大都市・コルカタの様子
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