サンキュー中国、二度のアヘン戦争の敗北で日本が目覚める

 

3月3日は楽しいひな祭りの日。
しかし、その文化を生んだ中国では、1857年のこの日、 フランスとイギリスが「アロー戦争」で宣戦布告し、本格的な戦いがはじまったカオスな日でもある。
ということで、今回は2度のアヘン戦争で、清が日本にとってありがたい「しくじり先生」になってくれたことを書いていこう。

 

イギリス艦隊の攻撃を受ける清の艦隊

 

1840年にアヘン戦争が起きると、イギリス側の戦死者は 約520人、清の戦死者は 18,000人〜20,000人という、まさにワンサイドゲームで中国が惨敗する。
当時の日本は、欧米列強の実力をよく理解していなかった。
中国とは古代から付き合いがあって、事情や国力はそれなりに知っていたから、大国だと思っていた隣国がボッコボコにされたのを知って、江戸幕府は驚がくする。

それで、鎖国政策について考え直し、対応をユルクすることにした。
このとき幕府は「異国船打払令」を出し、外国船が来たら、即座に追っ払うことにしていた。
この異国船打払令は「無二念打払令」とも言う。
外国船を見たら、よけいなことは考えず(無二念)、迷わず攻撃して追い払ってしまえ! というかなりの強硬策だ。
でも、清という偉大な「しくじり先生」を見て、圧倒的な軍事力を持つ外国に対し、有無を言わさず攻撃することに不安を感じるようになる。
そこで幕府はアヘン戦争が終わった1842年に、「異国船打払令」を廃止し、遭難した船には燃料・水・食料の提供する「薪水(しんすい)給与令」を出した。

こちらとアチラ、彼我の実力差を考えずに、鎖国政策を続けるのは自殺行為。
欧米列強と強く敵対しないで、鎖国政策をやや緩和したのは正解だった。
日本がイギリスやフランスなどと「ガチ」で戦えば、どんな不幸な未来になるのかは、清が身をもって教えてくれた。

 

円明園で略奪をおこなう英仏軍

 

失敗するのは仕方ないけれど、同じ失敗を同じように繰り返すのは学習能力が無さすぎる。
当時の清がまさにそんな状態で、アヘン戦争に敗北した後、今度は1856年にフランスとイギリスに「アロー戦争」で戦い、また負けた。
そのとき英仏軍は皇帝の離宮である円明園を破壊し、金になりそうなものを根こそぎ奪ってしまう。
日本で例えるなら、外国軍が桂離宮になだれ込み、略奪をおこなったようなもの(たぶん)。

アロー戦争について、英語版ウィキペディアを見ると「Second Opium War」と書いてある。
海外では、この戦争は一般的に「第二次アヘン戦争」と呼ばれている。
最初のアヘン戦争で清が敗北したのを見て、日本はあわてて態度を変え、「異国船打払令」を廃止し、困った外国船は助けてあげようという「薪水給与令」を出した。
二度目のアヘン戦争は、日本にどんな影響を与えたのか?

 

この戦争の最中、アメリカの領事であるハリスが日本にいて、幕府に対し、通商条約を結ぶよう熱心に求めていた。
しかし、交渉はなかなか進まない。
それにイライラしていたハリスは江戸幕府に、いまイギリスとフランスが清と戦っているが、それ終われば、今度は日本を侵略するだろうとブラフ(脅し、はったり)をかけた。日本を守るためには、アメリカと通商条約を結び、友好的な関係を築くしかないと迫る。
この言葉が幕府を動かした。
日本も英仏の艦隊がやってくる前に、アメリカと手を結んでおいた方がいいと判断し、1858年に日米修好通商条約が締結された。

日本が開国したのは、1854年にペリーが来日して「日米和親条約」を結び、下田と函館の二港を開いた時と言われている。
しかし、まだ貿易は行われていなかった。
実質的な開国は、日米修好通商条約が結ばれ、外国との貿易がはじまった時と言える。
東アジアの中で、日本はもっとも早くドアを開けて、欧米列強から学んで近代国家に生まれ変わった。それによって、独立を保つことができた。
そのきっかけは、隣の「しくじり先生」が与えてくれた。

1862年、長州藩の高杉晋作が植民地状態となった上海を訪れた。
そこで高杉は、清国人が西洋人にこき使われているのを見て、大きな衝撃を受け、「見るに耐えない。日本はこうなってはいけない」と国防意識を高める。
この面でも、中国は素晴らしい反面教師になってくれた。
結果として、清は二度のアヘン戦争に負けたことで、日本に攘夷や鎖国は不可能だと気づかせ、自身は辛亥革命によって 1912年に滅亡した。
ありがとう清、そして永遠にさようなら。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。