【日本の怨霊信仰】アフリカ人は“長屋王の変”をどう思う?

 

3月16日は、729年に「長屋王(ながやおう)の変」が起きた日か。
奈良時代、聖武天皇が治めていたころの日本では、大仏建立のほかにもこんな事件があったのだ。
では、今回はこの出来事と、アフリカ人がこの事件を知ったら、どう思うかについて書いていこう。

 

長屋王

 

長屋王は天武天皇の孫で、有力な皇位継承者だった。
彼は左大臣の地位にあり、当時の政界を動かすほど大きな影響力を持っていた。
政治の世界には、いつでもどこでも権力を握ろうとする人物が存在し、自分がのし上がるために、ライバルを“排除”しようとする人たちがいる。
その時期には、藤原四兄弟がまさにそんな陰険な勢力だった。

大きな事件が起きるには、それにつながる前段階がある。
少し前、朝廷には藤原不比等という漢(おとこ)がいた。
比べる者がいないほど優秀、不比等(ふひと)にはそんなスゴイ意味がある。
実際、彼は平城京の遷都や大宝律令の制定で活躍し、日本の歴史に名を残したから、名前負けはしていない。
そんな実力者を父として、フジワラ・ブラザーズが生まれた。

父が藤原一族の繁栄の土台を築いてくれたから、四兄弟はそれを発展させようと願っていた。
彼らが「天下を取る(政権を握る)」ためには、実力者で血筋も良かった長屋王の存在は目ざわりでしかない。
そんなジャマ者を政界から排除するために、藤原四兄弟は後に「長屋王の変」と呼ばれる陰謀事件を起こしたと言われている。

 

729年の3月に、「大変です! 長屋王が左道を学んで、国家を滅ぼそうとしています!」との密告が上がる。
この左道(邪道)とは妖術や呪術のこと。
告発の内容は、聖武天皇の息子が生まれてすぐに亡くなったのは、長屋の王が呪いをかけた結果だというものらしい。
長屋の王には謀反の疑いがかけられ、四兄弟の一人が率いる軍勢に自宅を囲まれる。
(この動きには聖武天皇の許可があったはず。)
そして3月16日、長屋の王はすべてをあきらめ、家族とともに自殺した。

政敵が消滅した後、藤原四兄弟は無双状態となり、「藤原四子政権」と呼ばれる黄金時代を築いたと思ったら、天然痘が流行し、4人すべてが病死する。
人々はこれを聞いて、長屋王を自殺に追い込んだことの祟(たた)りと震えた。

四人が亡くなったすぐ後、聖武天皇は、生き残った長屋王の子どもたちの地位を引き上げた。
天皇もこの事件に関わっていたこともあり、長屋王の霊を慰(なぐさ)めるために行ったと考えられている。

 

 

古代の日本には、強い恨みを抱えたまま亡くなった人間は怨霊となり、自然災害や疫病などを引き起こすという考え方があった。
そこで、その魂に官位を贈ったり、神として祀って“満足”させることで、怨霊は御霊(ごりょう)に変わり、人びとは祟りから逃れることができると信じた。
そんな御霊信仰は奈良時代にはじまり、平安時代に発達する。

日本の歴史には多くの怨霊が登場するが、その中でも、平安時代の政治家・菅原 道真はラスボス級だ。
彼も政敵に罪をでっち上げられ、京都から九州に追放された後、そこで無念の死をとげた。
するとその後、道真をハメた関係者が次々と死んだことから、人びとは道真の怨霊のしわざと考え、恐怖した。(清涼殿落雷事件
そこで、道真を天神として祀ることとなり、北野天満宮が建てられた。
彼は後に日本三大怨霊の一人となる。(あとは平将門と崇徳天皇)

 

北野天満宮

 

数年前に、東アフリカ出身のタンザニア人と一緒に京都を旅行したことがある。
その時に菅原道真の話をして、怨霊や御霊信仰についてどう思うか、彼の意見を聞いてみた。ちなみに、彼は日本に来る前、国内ナンバーワンの大学・ダルエスサラーム大学で講師を務めていた。
日本でいうなら、いわば東大講師だから、間違いなく知的エリートだ。
そんな彼はこんな見解を述べる。

政敵をワナにはめて排除することは、現代でも多くの国で起こることだから、それ自体はまったく珍しくない。
アフリカには、日本の怨霊信仰と似た呪術信仰があって、いまでも迷信深い人が利用している。
特に田舎には呪術師(ウィッチドクター)がいて、魔術を使って病気の人を治療したり、人にケガや病気などの不幸をもたらしたりする。
呪術師にお金を払えば、恨みのある人に呪いをかけることもできる。
自分はキリスト教徒だから、そんな迷信は信じないが。
政治家が呪術師に、ライバルの除去を依頼することは十分考えられる。
(このへんは長屋王がしたという“左道”と同じだ)
その後、恨みを抱えたまま死んだ人間が「怨霊」となって現れるという話は聞いたことがない。
それは日本独特の発想でおもしろい。

彼に「長屋王の変」について、直接聞いてみたことはないけれど、本質的には菅原道真の一件や御霊信仰と同じだから、きっと同じことを言うはず。

 

 

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2 件のコメント

  • > 長屋王は天武天皇(祖父)と天智天皇(祖母)の孫で、・・・

    このように書くと、天智天皇は女性であったかのように誤解されてしまいます。
    「天武天皇(父方祖父)と天智天皇(母方祖父)の孫」という意味なのでは?

  • ご指摘ありがとうございます!
    「父は天武天皇の長男の高市皇子、母は天智天皇の皇女の御名部皇女」の部分が長すぎたので、省略して書いたら、カットしすぎて誤記になってしまいました。
    もう、「長屋王は天武天皇の孫」とだけにしました。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。