トマトジュースとウオッカを使って作る赤いカクテル、ブラッディメアリー。
このカクテルは、1566年の3月21日、イングランド女王メアリー1世によってトマス・クランマーが火あぶりにされたことと関連している。
それをこれから見ていこう。
まず、メアリー1世の父親・ヘンリー8世もわりとおかしい。彼はかなりの自己中で残酷なことをした。
彼は妻と離婚して、別の女性(アン・ブーリン)と結婚したいと考えたが、キリスト教(カトリック)の教えでそれは許されなかった。
そこで、彼はカトリックにサヨナラを告げて、新しいキリスト教であるイングランド国教会を創設した。
こうしてヘンリー8世は無理やり妻と離婚し、アン・ブーリンと結婚したが、後にアンは処刑されてしまう。
その処刑の翌日、ヘンリー8世は別の女性と結婚する。
メアリーはヘンリー8世と最初の妻とのあいだに生まれた。
1553年にイングランドの女王になった彼女は、超熱心なカトリック教徒だったため、ヘンリー8世がはじめたプロテスタントのイングランド国教会を否定し、イングランドを再びカトリックの国に戻した。
そしてはじまる大虐殺。
彼女はプロテスタントが息をすることさえ許さず、その「駆逐」を神の意思に沿った正義と考え、次から次へと殺害していく。
宗教改革の指導者だったトマス・クランマーはそれまでの信仰を捨て、カトリックへの改宗を宣言したにもかかわらず、メアリー1世は彼を焼き殺す。
彼女は女性や子どもを含む約300人を火刑に処し、その残虐さから、メアリー1世は血に飢えた暴君、ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれた。
長い王政の歴史のある国では、暴君が出てくることがあれば、名君が生まれることがある。
この時代のイングランドのプロテスタントは、「王様ガチャ」で大ハズレを引いてしまった。
メアリー1世(1516年 – 1558年)
日本の歴史にも暴君がいた。
それが古墳時代の雄略天皇で、この天皇は実在したとされているが、100%確定してはいない。
雄略天皇は昔から、かなり乱暴だったらしい。
皇子(大泊瀬皇子 :おおはつせのみこ)だったころ、女性たちに求婚すると、
「朝に皇子と会った者は夕方に殺され、夕方に会った者は朝に殺されると聞きます」
と言われて拒否された。
「だって、きっとすぐに殺されるから」という理由で、プロポーズを断られた天皇は雄略天皇だけ。
ヘンリー8世はかなりひどいことをしたが、雄略天皇の兄の安康(あんこう)天皇もわりとムゴイことをする。
天皇の意向で、皇族の大草香皇子(おおくさかのみこ)が妹と大泊瀬皇子との結婚を認めた。しかし、使者が結婚の証となる宝物を奪い、「大草香皇子が縁談を断りました」とウソの報告をする。
安康天皇は激怒し、大草香皇子を殺害するだけでなく、彼の妻を自分の妻にした。
大草香皇子の息子である眉輪王(まよわのおおきみ)は、後にこの話を知って深い恨みをおぼえ、就寝中の安康天皇を刺殺する。
*この事件によって、安康天皇は「記録に残る最初の暗殺された天皇」となった。
その後、眉輪王は大泊瀬皇子に生きたまま焼き殺されるというウツ展開を迎える。
安康天皇が急死すると、後継者をめぐる争いがぼっ発し、大泊瀬皇子はライバルの一人を生き埋めにして殺害する。
『古事記』によると、その人物は腰まで埋まると、両目が飛び出て(両つの目走り抜けて)、死んでしまったという。
別のライバルは狩りに誘い出し、暗殺した。
こうして大泊瀬皇子は後継者を粛清し、雄略天皇となった。
天皇になっても、乱暴な性格は変わらず。
雄略天皇には、后(きさき)にしようと考えていた女性がいた。しかし、彼女がほかの男と関係を持ったと聞き、日本書紀に「大怒」と書かれるほど怒った。
その女性と男性は両手足をしばられ、身動きが取れない状態で焼かれた。
雄略天皇は誤解から人を殺すことが多かったため、「大悪天皇(はなはだあしき てんのう)」と呼ばれるようになったという。
イギリス風に言うなら、「ブラッディ雄略」だ。
イングランドのメアリー1世との違いを指摘するなら、彼の残酷さは宗教的な情熱ではなく、私利私欲からうまれたという点。それと、雄略天皇は一般人の大量虐殺はしていない。
しかし、雄略天皇は強い野心と力を持っていて、各地の有力豪族を制することができた。
それによって、大王(天皇)を中心とする中央集権体制がはじまり、それが後に飛鳥朝廷に引き継がれたという見方もある。
これが事実なら、日本の「土台」をつくったようなものだ。
雄略天皇
日本にはない、キリスト教やユダヤ教の「神との契約」という考え方
私利私欲や単なる政治権力争いに基づく残虐行為に比べると、宗教的な動機からの残虐行為はケタが違いますね。どうして人間はそこまでやれるのか。
宗教って、本来ならば人間を幸福にすることが本来の目的なのだろうと思うのですが。
これまでの歴史において、世界中のどの宗教も、人間を幸福にすることからはかけ離れた存在であるような気がしてなりません。やはりカール・マルクスの主張「宗教はアヘンである」が正しいのでしょうか。いくら共産党が取り繕ってみても、マルクスは、宗教のことを、人間にとって有害な「アヘン」という言葉でそのまま表現しているように私には思えます。
まあ私自身は、世俗的な神道と仏教をごっちゃにした「伝統的日本教」の信者であり、それ以外の「ちゃんとした」宗教とは全く無縁です。