イギリスの奴隷貿易 実はアフリカ人とのウィン・ウィン

 

きょう3月25日は、1807年にイギリス議会で奴隷貿易廃止法が可決された画期的な日。
人権や道徳など、人間として大切なものをすべて無視して言えば、奴隷貿易はめちゃくちゃもうかる仕事だった。
イギリスのある歴史家はこう指摘している。

1791年から1800年までの10年間で、イギリスの奴隷船は約1,340回も大西洋を横断してアメリカ大陸へ航海し、約40万人の奴隷を上陸させた。そして、1801年から1807年にかけて、さらに266,000人の奴隷を連れ去った。
奴隷貿易は「one of Britain’s most profitable businesses(英国でもっとも利益の多いビジネスのひとつ)」であり続けた。(Slave Trade Act 1807

 

奴隷制度反対を訴えるキャンペーンで作られたデザイン
「私は人間で、兄弟ではないのでしょうか?」と刻まれている。

 

奴隷貿易廃止法のポイントは、これによって禁止されたのは奴隷の「貿易」であって、制度自体はその後も続いたという点。
奴隷を必要する人たちは多く、制度そのものを全面的に「バン」することはできなかった。
ただ、もしイギリス船で奴隷が見つかった場合、高額な罰金が課せられたから、奴隷制度廃止の流れを作り出すことはできた。
しかし、この人道的な法律によって悲劇がうまれる。
奴隷貿易は重罪となり、イギリス海軍が厳しくパトロールすることになった結果、海軍の船が近づくと、船長は罰金の支払いを避けるため、奴隷を海に放り投げることもあった。鬼畜か。
それでも、奴隷ビジネスはもうかるから、止められない。
1808年から1860年の間に、イギリス海軍は1,600隻の奴隷船を摘発し、15万人のアフリカ人を解放した。彼らの目を逃れた船が一体どれほどあったのかは謎。

 

貿易の廃止を嫌ったのは、ヨーロッパの奴隷商人だけじゃない。
実はこれに反対するアフリカ人もいたのだ。
当時はヨーロッパ人が直接、西アフリカの村を襲撃して黒人奴隷を集めたこともあったが、それには多額の費用がかかり、効率も悪かった。
“コスパ”を重視した彼らはアフリカの有力者に金を渡し、奴隷狩りを依頼する。
すると、彼らは「ヒャッハー!」(想像)と村々を襲って人びとを捕獲し、奴隷として売り渡した。
奴隷貿易では、ヨーロッパ人とアフリカ人の間で負のウィン・ウィンが成立し、西アフリカの多くの国が繁栄した。だから、奴隷をめぐるアフリカ人どうしの争いは絶えなかった。(Slave raiding
「私は人間で、兄弟ではないのでしょうか?」という言葉は、むしろアフリカの統治者が聞くべきだった。
こんな状態だったから、アフリカの多くの国がイギリスの奴隷貿易廃止を拒否した。

イギリスと対象的だったのがフランス。
フランス革命によって1794年に奴隷制が廃止されたのに、ナポレオンは1802年にこの制度を復活させた。これはナポレオンの名誉にとって、大きな汚点となった。

1833年に、イギリスでやっと奴隷制度が違法となる。(Slavery Abolition Act 1833

 

 

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3 件のコメント

  • > 実はアフリカ人とのウィン・ウィン

    この表現はいくら何でも奴隷にされたアフリカ人に対して失礼なのでは?
    せいぜい、「実はウィン・ウィンに思ったアフリカ人もいた」くらいでしょうか。
    日本語の名詞には冠詞(a、the、some)がないので、この辺は表現が難しいのですが。

  • タンザニア人、ナイジェリア人、ルワンダ人と奴隷の話を何度もしたことがあります。
    アフリカの多くの国が協力していたのは事実で、奴隷制度にはこんな関係があったと指摘するのは問題ないと思います。

  • > 奴隷制度にはこんな関係があったと指摘するのは問題ないと思います。

    それには全く同感です。
    私が問題であると感じるのは、「実は(一人の?何人かの?一部の?全ての?)アフリカ人とのウィン・ウィン」という表現が、日本語では全く区別がつかないということです。ついでに言うと、「関係があった」というより「関係もあった」「そのような関係から奴隷制度に与するアフリカ人もいた」というのがより正確な日本語表現だと私は考えます。
    「実はアフリカ人との・・・」という日本語表現を見れば、多くの日本人は、「実は当時の【ほぼ全ての】アフリカ人との・・・」という意味に解釈すると思いますよ。(でも、そんなことは全然書いてないのですけどね、それは分かっているのです。)

    理数系の学術論文を書く際など、この点、つまり冠詞 a、the、some、all による簡潔な表現で区別ができないということが、日本語の大きな弱点の一つなのです。

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