【独立戦争】バングラデシュ人がカレー屋を嫌がったわけ

 

3月26日は、日本では「カチューシャの歌の日」で、バングラデシュではめでたい独立記念日だ。
1914年のこの日、日本でトルストイの作品が上演され、その中で歌われた「カチューシャの唄」が流行した。
このロシア民謡とバングラデシュの独立は、何の関連性もないように見えるが、じつはまったく関係ない。だから、カチューシャの話はここで終わり。

1971年3月26日、バングラデシュはパキスタンの圧政に対する戦いをはじめ、それに勝利して自由を手に入れた。
ということで、SNSを見ると、たくさんのバングラデシュ人がお祝いのメッセージを投稿している。

「Happy Independence Day!  Bangladesh」

「আজ আমাদের স্বাধীনতা দিবস」
*ベンガル語で「今日は独立記念日です」という意味らしい。

バングラデシュの独立戦争と言えば、以前、そのせいで食事のお店選びで苦労した思い出がある。

 

 

20年ほど前、日本に住んでいたバングラデシュ人と知り合い、一緒にご飯を食べに行くことになった。
*2024年の現在なら、彼は50〜55歳になる。

イスラム教徒の彼は豚肉とアルコールがダメで、日本は物価が高いから、庶民的な店が良いと言う。なので、市内で評判のラーメン屋をチョイス。
しかし当日、ボクが車で迎えに行って「ラーメン食おうぜ!」って言うと、彼は「いや、豚骨スープはダメなんだ。それに、そのスープが入った器もNG」と言ったため、ラーメン屋はお流れに。
結局、「安全重視」でインド・カレーの店へ行くことになり、彼を市内でも評判のカレー屋に連れて行った。
20分ほど走って店に到着し、駐車場で車を止めたところで、ここでも彼からマッタがかかる。ここじゃなくて、別の店に行きたいと言う。

いやいや、今度のダメ出しは何だよ。ここにはベジタリアンメニューとか、アッラーの教えに沿った食べ物があるはずなのに。
彼が「ちょっと待って」と言い出した理由は、宗教ではなく、歴史や愛国心からだった。
彼はバングラデシュ人として、店の看板に書かれていた「ウルドゥー語」を認めることができないらしい。

 

パキスタンのウルドゥー語

 

1947年にイギリスからインドが独立した時、イスラム教徒の多かったパキスタンはインドから分離し、独立国となった。
当時のパキスタンは、西パキスタン(現在のパキスタン)と東パキスタン(バングラデシュ)の2つの地域で構成されていた。
しかし、西パキスタンは東パキスタンを見下し、自分たちが使うウルドゥー語を国語に決めたため、ベンガル語を話す東パキスタンの人たちが大激怒する。
ベンガル語を守るために人びとは抗議し、それが1971年3月26日にはじまる独立戦争のフラグとなった。

この戦争では、バングラデシュ側の発表では300万人が殺害されたり、数十万人の女性がレイプの被害を受けたりした。(バングラデシュ大虐殺
そんな大きな犠牲を出しながらもバングラデシュは戦い続け、1971年12月に西パキスタンの軍を追い出し、独立を達成する。

 

ビートルズのメンバーだったジョージ・ハリスンは『バングラデシュ難民救済コンサート』を開催し、「バングラ・デッシュ」という曲をつくった。

 

一緒にご飯を食べに行ったバングラデシュ人も、この戦争で何人かの身内が犠牲になり、親からその話を何度も聞かされた。
この大きな悲劇はウルドゥー語の強制からはじまり、いまカレー屋の看板にその文字が書かれている。
彼はそれを見たくなかったから、どうしてもここで食事をする気になれないと言う。
店は「本格的インドカレー」と宣伝していたけれど、パキスタン人が経営していたらしい。
それで結局、インド人がやっているインドカレーの店に行くことになり、豚骨ラーメンからはじまる店選びの旅は終わった。
ちなみに独立戦争の際、インド軍はバングラデシュを支援してくれたから、彼はインドを大好きらしい。

 

バングラデシュの独立戦争については、「高校の世界史でならっただろ!」と強く言われると、そんな気がしてくる程度には覚えていた。
ほとんど忘れていた世界史の出来事が、まさか食事の店選びに影響を与えることになるとは思わなかった。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。