日本人の「降伏論」に、バングラデシュ人がNOと言うワケ

 

ロシア軍がウクライナへ攻め込んでから、もう1か月以上が過ぎた。
この間、日本で注目を集めたのが、もうウクライナはロシアに降伏すべきという意見だ。

ニューズウィーク誌(2022年04月01日)

なぜ「ウクライナは降伏すべき」と主張する日本人が出てくるのか

「どこかでウクライナが退く以外に、市民の死者が増えていくのは止められない。」
「ウクライナ人はプーチンが死ぬまで国外退去して20年後に再建せよ。」

こんな感じに戦闘が長引くほど、子供をふくめ一般人の悲惨な犠牲が増えるから、ロシアに対するウクライナの妥結(広い意味でこれも降伏)を求める声が日本で上がった。

個人的には最近、太平洋戦争で日本軍が回天や桜花などを使った自爆攻撃を行って、大切な若い命を散らせたことを記事に書いたから、人の命を犠牲にしないためには、早い段階で降伏を決断することも大事だと思う。
歴史に「タラレバ定食」はないけど、もっと早く日本が降伏していたら、原爆投下もなかったかもしれない。
でもそれは、中学生が平和を祈りながら千羽鶴を作って近所の区役所に飾るみたいな、日本国内で完結する話。
「市民の犠牲を抑えるために、ウクライナはロシアに降伏するべき」論についてどう思うか、いろいろな外国人にたずねてみると、国内でそんな意見は聞いたことがないし、個人的にもそれには賛成できないという人ばかりだ。
今回はそんな外国人の中から、バングラデシュ人の見方を紹介しよう。

 

まずバングラデシュの人たちは、愛国心がめっちゃくちゃ強い。
このまえの3月26日はパキスタンから独立した記念日だったから、 あるバングラデシュ人はSNSにこんな投稿をする。

「300万人の犠牲のおかげで、わたしたちは自由を手に入れることができた。我らの国民的英雄に敬意を示そう(Salute to our country Hero)。」

するとこのメッセージには、山ほどの「いいね」が付けられる。
そんな彼らにとっては、降伏が幸福につながるという考え方は受け入れられないようで、一緒に花見をした20代の男女3人のバングラデシュ人は全員「NO」と言う。
そう考える理由は彼らの歴史にある。

 

バングラデシュ(東パキスタン)が1948年に、インドから分離独立したのは宗教の違いが原因で、ヒンドゥー教徒の多いインドとイスラム教徒の多いパキスタンはそれぞれ別の国になった方が良かったのだ。
それで当時は、西パキスタン(現パキスタン)と東パキスタン(バングラデシュ)が一つの国として存在していたが、実質的には東が西に支配されていた。
その象徴が1948年に、西パキスタンがウルドゥー語を唯一の国語にきめて、バングラデシュ人の母語であるベンガル語を排除したこと。
同じ神(アッラー)を信じる者同士でも、文化を侮辱されることには耐えられない。
バングラデシュ人による抗議活動が始まって(ベンガル語国語化運動)、それはやがて西パキスタンからの独立を求める動きに変わり、1971年3月26日に独立戦争が始まった。

パキスタンを嫌うインドの支援もあって、1971年12月16日に西パキスタンを追い出して、東パキスタンは「バングラデシュ」として独立を達成する。
現代のバングラデシュ人は、多くの血で得られた自由に最も高い価値を置いているという。
人間の命が最も大事という一般論は分かるし、それは考え方として正しい。
でも、自国の伝統やアイデンティティーを侮辱されたり消滅させられ、自分たちが「二等市民」として生きるくらいなら、バングラデシュ人は武器を取って立ち上がる。だから戦争をしないとか、降伏するという選択肢はない。
命を守るといっても、“奴隷”のように生活することは断固拒否する。
結果として数百万人が亡くなったが、それはやむを得ないし、誰にもどうすることもできない。
そもそも悪いのはパキスタンであって、弾圧に抵抗したバングラデシュではない。

 

こういう歴史を話す彼らにとって、いま多くの犠牲を出して戦うウクライナに降伏をすすめることは考えられないし、もしロシアに妥協して戦争が終わったとしても、市民の安全が保障されるかは疑問だという。
バングラデシュの独立戦争では敗北が確定的になると、パキスタンは最後にとんでもないことをしやがった。
新生バングラデシュの国づくりを困難にするため、社会にとって有益な、大学教授、ジャーナリスト、医師、芸術家、エンジニアなどの知識人200人以上を虐殺したのだ。(1971 killing of Bengali intellectuals
独立後のバングラデシュが長く(いまもそうかも)世界最貧国だった原因には、このとき高い教育を受けた貴重な人材を“根絶やし”にされたことがある。
こういう歴史の延長にいる彼らが、日本にある降伏論に「NO!」というのは当たり前か。

 

バングラデシュ独立戦争
刺激の強いシーンもあるけど、戦争とはそういうもの。

 

 

 

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1 個のコメント

  • <<<降伏論…
    ウクライナ「日本人は我々の愛国心と国防意識を永遠に理解できないだろう、
     日本が、我が国みたいに、1920年代から1950年代までソ連の領土になって、日本人の作った食糧が全て収奪され、日本人全員がシベリアへ強制移住させられた歴史を経験しない限り。」

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。