【学校遠足】日本での始まり・ベトナムの現状

 

日本で3月は別れのシーズン。
知り合いの20代のベトナム人女性が母国に帰ることになったから、その前に、もう一人のベトナム人(20代・男性)と一緒にご飯を食べに行った。
なので、今回はその内容をシェアしよう。

*以下、ベトナム人男性を「ベトくん」、女性を「ナムさん」とする。

 

ーーへ〜、最近ナムさんは広島へ行ったのか。
広島と京都には学ぶことが多いし、日本の修学旅行では鉄板の目的地になっている。
ベトナムでも修学旅行でよく生徒が行くところってある?

ベトくん:日本とはシステムが違って、ボクの中学校ではクラスごとに旅行に行きました。
生徒の保護者が費用を出すんでけど、ボクたちのクラスはお金の無い家庭が多かったから、旅行に行くことができませんでした。

ーー遠足っていうのは楽しい話題のはずなんだけど、なんか、聞いてはいけないことを聞いてしまった気分だ。一気に切なくなった。

ナムさん:私たちのクラスではお金持ちの家が多かったから、バスを貸し切ってみんなで旅行に行きました。
負担する金額はバラバラで、リッチな家は多く払って、そうでない家庭はそれなりって感じです。
その時、私たちはハノイにある「ホーチミン廟」へ行きました。

ーーえっと、ベトナムって共産党が治める社会主義の国だったよね?
たしか、マルクスが「資本主義は貧富の差を広げるだけだ!」って批判していた気がするけど、2人の話を聞くと、残酷なほど差があるよね…。

ナムさん:そうですね。
ベトナムではお金があれば何でもできます。

ーーアントニオ猪木みたいな国だね。

 

高校生の遠足(1946年)

 

ではここで、日本の遠足の歴史を確認してみよう。
まず、「遠足」という言葉は江戸時代からあって、文字通り、歩いて遠くに行くことを意味していた。滑稽本の『続膝栗毛』には「今日遠足どもいたして」という文があるらしい。

日本の学校では、遠足よりも先に運動会が行われていた。
1874年に、日本初の運動会と言われる「競闘遊戯会(きそいあそび)」が開催されたという話はこの記事で書いた。

【明治〜令和】アメリカ人が感心する日本人の秩序正しさ

明治時代に行われた運動会では、複数の学校が合同で参加するスタイルで、各学校の子どもたちが会場まで歩いて移動した。そして運動会をして、学校まで戻ってくる。
この「学校⇆会場」の往復が遠足の起源になったという。
つまり、はじめは運動会と遠足はセットになっていたのだ。

1890年に島根県で行われた合同運動会について、ラフカディオ・ハーンがこう書いている。

「半径四十キロメートル内にある村や町の、すべての学校の生徒たちがそこに入場すると、びっくりするほどの数になった。」

約6千人の生徒が集まったという。
会場まで“遠足”でやって来たのだろう。

 

やがて運動会と遠足は切り離され、1886年に日本初の遠足(修学旅行)と言われる「長途遠足」が行われる。東京師範学校の生徒約100名が東京〜千葉県を往復し、動物や植物を採集したり写生をしたり、名所見学などの活動をした。
これは泊まり込みだったから、現代なら修学旅行になる。

その後、日本で校外学習としての遠足が定着していき、昭和になると「バナナはお菓子に入るか?」論争が巻き起こった。
ちなみに、俳句で「遠足」は春の季語になっている。
子どもたちが入学や進学したばかりのころに遠足をして、友だちと打ち解けてクラスの雰囲気をアゲていこうとする目的があると思われる。

 

京都の学校の修学旅行 (1933年)
「なんか日本っぽくないな〜」と感じた人は大正解。
ここは現在の北朝鮮の首都・平壌で、当時は「日本国内」だった。

 

ここでベトくん・ナムさんに話を戻そう。

ーー遠足にはバスガイドや添乗員がいたの?

ナムさん:いいえ。先生と親がいました。

ーーえ? 親もついて来るの?
それだと、遠足の魅力がかなりダウンしない?

ベトナくん:仕方ないですよ。
ベトナムは日本ほど安全じゃないですから。
学校の遠足で、引率者が先生だけだと危ないです。

ーー心配になった親が遠足について来るというのは、日本ならマンガでありそうな展開。
とりあえず、今日はありがとう。

ベトくん&ナムさん:「Cảm ơn」(カムォン)です。

*「Cảm ơn」はベトナム語で“ありがとう”の意味。
中国語の「感恩」が由来している。

 

おまけ

調べてみたら、2013年にベトナムで、学校の旅行でビーチに来ていた中学生7人が波に流され、全員が死亡する事故が起きた。
さらに去年も小学校の遠足で、保護者と小学6年生が川に流され死亡する事件が発生している。
この事故でハノイ市では、学校が独自に遠足を計画・実行することを禁止し、事前に遠足の時間や場所などの予定を当局に提出し、許可を得なければいけなくなった。
日本とは事情が違いすぎる。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。