19世紀末、ある日本人が朝鮮半島を旅行し、現地で朝鮮全土にあった宝は倭寇によって盗まれたという話を聞いた。
ただし、これは根拠の無い言い伝えレベルの話。
【韓国の日本観】今も昔も“宝物は倭寇に盗まれた”で通じてしまう
「倭寇」というワードが出てきたので、今回はこの集団について書いていこう。
倭寇
まず、“倭”とは日本の蔑称で、“寇”には侵略して物を奪い取るという乱暴で悪逆なニュアンスがある。日本にとっては、13世紀のモンゴルと高麗の侵略がまさに「寇」だ。
「倭寇」という言葉は昔の中国人や高麗人(韓国人)が使っていた、現代の感覚では差別的な言葉で、憎悪が込められている。
「倭寇」と聞くと、13世紀〜16世紀に、朝鮮半島や中国の沿岸部で暴れ回っていた日本の海賊を思い浮かべるかもしれないが、その通りだ。ただし、日本人だけではない。
室町時代の日本人が「高麗盗人」と呼んだように、倭寇の中には朝鮮半島の高麗人もいたのだ。
後期倭寇の実態については、台湾の歴史作家である陳舜臣氏がこう書いている。
倭とは日本人のことで、これはめっぽう強いのである。
ー倭寇だぞォ!
といえば、住民はおろか、官兵まで戦わずに逃げたという。ところが、中国側の史書にもあるように、
ー真倭(ほんとうの日本人)は十人に一人にすぎず。
であった。
大部分は、中国人が(中略)にせ日本人だったのである。ちょんまけを見れば、むこうは逃げてくれるから、この変装はこたえられない。「日本的 中国的 (徳間書店) 陳舜臣」
なんで倭寇(初期倭寇)が現れるようになったのか?
その理由としてよく指摘されるのが、モンゴル・高麗軍が攻めてきた元寇によって、対馬をはじめ九州北部が略奪や虐殺の被害を受けたため、というもの。
これは日本のサイトでよく紹介されている説で、英語版ウィキペディアにも、初期の倭寇はモンゴル軍の侵略によって生まれた(from the Mongol invasions of Japan)と説明されている。
元寇によって、中国や朝鮮の沿岸部の防衛力は大きく低下し、日本では、九州の対馬、壱岐、五島列島に住む人々が極度の貧困に苦しむこととなった。
こうした理由から、倭寇が中国や朝鮮半島で略奪行為を行なったという。
the people living in Tsushima, Iki, and Gotō Islands in Kyushu suffered extreme poverty.For these reasons, wokou gradually intensified their looting on the coasts of China and Korea.
倭寇と中国の船団が戦っている。
倭寇の略奪などに困った明は日本に取り締まりを依頼すると、足利義満はそれを引き受ける代わりに、明との貿易を要求し、日明(勘合)貿易がスタートする。
明が日本との貿易を廃止すると、日明貿易で仕事をしていた人たちは大打撃を受け、海賊化して後期倭寇が出現した。
こうした背景から、後期倭寇には王直などの中国人が多かった。
16世紀、明は北部のモンゴルと南部の倭寇の「北虜南倭」に悩まされる。
明と豊臣秀吉が本格的に倭寇の取り締まりをはじめると、倭寇は衰退し、やがて姿を消した。
中国の福建省にある土楼(どろう)という巨大な集合住宅。
こんな建物がつくられた理由のひとつに倭寇対策があった。
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