江戸時代、日本は「鎖国」をしていたのだけど、国際社会に背を向けて、完全に引きこもっていたわけではない。
オランダとは貿易をしていて、間接的にヨーロッパとつながっていたのだ。
その関係で、ふだんは長崎の出島にいたオランダ人は数年に一度、江戸城まで出向いて将軍にあいさつをし、プレゼントを渡していた。
それをカピタン江戸参府(さんぷ)という。
それに対して、幕府側は貿易の継続を認め、返礼として贈り物を渡した。
オランダ人たちは長崎から江戸までの道中で、各地の名物料理、いまでいう「B級グルメ」的な食べ物を楽しみにしていた、ということは特になかったらしい。
彼らは、ブドウ酒・バター・チーズ・燻(くん)製の肉・コーヒー・砂糖菓子などの西洋の食べ物をガッツリ持参し、それを食べていた。
幕末・明治時代にいたイギリス人のアーネスト・サトウは、日本食が好きで食べ物を携行しないで旅行していたが、そんな事例は珍しく、食文化の違いから日本の食事を嫌う西洋人は多かった。
ヨーロッパ人は肉が大好きだったのに、日本には一般的には肉食の習慣がなかったから、根本的に食事スタイルが合わなかった。
江戸時代には、オランダ人と中国人のために豚が飼育され、その肉が提供されていた。中国人にとっては問題なかっただろうが、オランダ人が求めていたものは牛肉だった。
西洋人にとって豚肉は牛肉の下位互換で、「豚なんて田舎者の食べ物だ」と不満げに言うオランダ人もいた。
幕末の日本へやって来て、日米修好通商条約を結んだアメリカ領事のハリスは、日本人を「喜望峰以東の最も優れた民族」と絶賛したが、日本の食べ物はまったくダメで、米と魚と貧弱な鶏を食べて生活しているとウンザリしたように言っている。
彼は日本で牛乳が手に入らないことにも苦しんだ。
ハリスが下田から江戸に移動することになった際、もうそんなショボい食事をしたくなかったから、彼は数週間かけて、日本の料理人に西洋料理の作り方を教え込んだという。
ハリスに同行していたオランダ出身の米国人ヒュースケンも、日本で料理人は空気以上になくてはならない存在だと書いている。
ちなみにヒュースケンは、1861年に攘夷派のサムライに斬られて28歳で亡くなった。R.I.P。
1853年にロシアのプチャーチンと一緒にやって来たゴンチャローフは、魚や海老ばかりを食べていて(食べさせられ)、修道院のような食事を食べ続けて胃がおかしくなってしまったという。
明治時代になっても事情はほとんど変わらない。
1873年から1911年まで日本にいたイギリス人の日本学者チェンバレンも、日本の料理には、肉も牛乳もパンもバターもジャムもサラダも無く、ヨーロッパ人の味覚をとうてい満足させられないと酷評した。
サムライに襲われるヒュースケン
「日本の食べ物は控えめに言って罰ゲーム」という時代は過ぎ去り、現代の外国人にとって日本で食べる物はご褒美だ。
最近発表された2024年版の「アジアのベストレストラン50」では、日本のレストランが1位・2位を占めた。
アジアナンバーワンのレストランは東京のフランス料理店「セザン」、2位には「フロリレージュ」(東京)が選ばれ、トップ10はほかにも8位に傳(東京)、9位にラシーム(大阪)が入っている。
*個人的には、35位の「ヴィラ アイーダ」(和歌山)が気になる。地方都市から選ばれたのはこの店だけ。
このランキングは2013年からはじまり、料理ライターや評論家、シェフなど「食」のスペシャリストたちが行う投票によって順位が決められる。
日本のレストランがワンツーフィニッシュを達成したのはこれで2度目だから、もともと日本のグルメ力はアジアでトップクラスなのだ。
さらに、昨年末に発表された「ミシュランガイド東京2024」では、星付き店の数は183軒で世界一を記録した。
東京は星の数でもう15年以上、連続で世界ナンバーワンを維持している。
ちなみに今回のトップ5は以下の都市。
2位:パリ
3位:京都
4位:大阪
5位:香港
6位がロンドンで、7位がニューヨークとなっている。
ミシュランの星の数なら、日本は世界で最も多く、フランスやアメリカ以上の「美食の国」であることが外国人に認められている。
ということで、令和の日本なら、もう修道院のような質素な料理で外国人をガッカリさせることはない。
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