1943年の4月、東アフリカで「第二次世界大戦で唯一の事例」という、かなりレアでキャッチーな出来事があった。
まず、あるインド人男性がドイツ軍の潜水艦に乗り込み、アフリカ最南端の喜望峰を回ってマダガスカルに到達。
するとそこには日本軍の軍人が待っていて、「こちらへどうぞ」と伊号第二十九潜水艦に案内し、彼はそれに乗り換えて日本に向かった。
第二次世界大戦中、2つの異なる海軍の潜水艦に乗って移動した民間人はこの人物しかいない。
This was the only civilian transfer between two submarines of two different navies in World War II.
ガンディーとボース(1938年)
その男の名前はチャンドラ・ボースという。
ボースはイギリスの植民地だった時代のインドに生まれた。
インド人がイギリス人から、不当で差別的な扱いを受けているのを見た影響もあり、彼は独立運動に生涯を捧げることを決めた。それも“チカラ”によって。
ボースは「反英独立」という目標はガンディーと完全一致していたが、彼の唱える非暴力・不服従運動については、「甘い。そんなやり方では独立を達成することはできない」と考え、インドの独立は武力もって勝ち取るものだと信じていた。
1939年に第二次世界大戦がぼっ発し、イギリスとドイツが戦い始めると、ボースは「トキはきた。いまこそインド独立のチャンス!」とインドを脱出し、ドイツに飛ぶ。
彼はナチスの幹部と会い、インド独立への支持を訴えると、返事は「保留」となる。
ボースは住む家や運転手、料理人などは用意してもらったから、生活には困らなかったが、ドイツの態度がハッキリわからないから不安で仕方ない。
じつはナチスは、ボースはガンディーほどインド国民の人気はないと考え、同盟関係を結ぶことに消極的だったのだ。
ヒトラーと握手をするボース(1941年)
ボースはそんな空気を感じ取り、ガッカリしていたころ、極東では日本が太平洋戦争を開始し、東南アジアのイギリス軍を撃破したことを知る。
これ以上ヨーロッパに留まっているべきではない、と彼は考えた。
そのころ日本軍はシンガポールにいたイギリス軍を追い出し、シンガポールを日本風に「昭南島」(昭和に手に入れた南の島)と名付けた。
日本は現地でインド国民軍のリーダーとなる人物を探していて、ボースはそれにピッタリだったから、彼を日本に招くことにした。
ボース、ドイツ、日本の思惑が一致したことで、日独政府が「ボース輸送大作戦」を計画する。
当時は戦争状態にあったことから、陸路、海路、空路での移動はとても困難で、「海中」が選ばれた。
伊29(伊号第二十九潜水艦)の日本人と合流したチャンドラ・ボース(1943年4月28日)
1942年にボースとヒトラーが話し合いをした際、ヒトラーはインド独立を支持することはなかったが、ボースが日本へ向かう手助けはすると約束した。
こうして1943 年の 2 月、ボースはドイツの潜水艦に乗り込み、まずはマダガスカルへ向かう。そこで彼は伊29でインドネシアまで移動した後、飛行機で日本へ移動した。
その後、ボース率いるインド国民軍は日本軍とともにビルマに向かい、インパール作戦でイギリス軍と戦い、惨敗した。
ボースはこの戦いに生き残ったものの、台湾で飛行機事故にあって全身に大やけどを負い、波乱万丈にもホドがある人生を終えた。
死の直前、病院で治療を受けていたボースは「何か食べたいものがあるか」と聞かれ、「カレー」と答えたという話がある。
彼は最後まで立派なインド人だった。
東條英機と会談を行うボース(1943年)
現在のインドで、ボースは国民的英雄になっている。
コルカタの空港は彼の名前から、「ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港」と名付けられたほど。
チャンドラ・ボース空港で見た彼の絵
この軍服はきっと日本軍のものだ。
> 1939年に第二次世界大戦がぼっ発し、イギリスとドイツが戦い始めると、ボースは「トキはきた。いまこそインド独立のチャンス!」とインドを脱出し、ドイツに飛ぶ。
> 彼はナチスの幹部と会い、インド独立への支持を訴えると、返事は「保留」となる。
さすがのチャンドラ・ボースも、当時のヨーロッパ人たちの「人種差別感覚」に対して、少々甘く見過ぎていたんじゃないですかね。自分が優秀だったからこそ、そのような「誤解」に陥りやすかったのだろうとは思いますが。
> 現在のインドで、ボースは国民的英雄になっている。
> コルカタの空港は彼の名前から、「ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港」と名付けられたほど。
なるほど、インドも、民族的・個人的な名誉に重きを置く民族なのですね。多民族・多宗教の国ではあるけれども。
日本人とはやはり違うなぁ。
ただ、インドでは宗教や地域によって尊敬する人物は違います。
多様性があふれすぎですね。