プラッシーの戦いと日清・日露戦争 英国と日本の“共通点” 

 

きょう6月23日は、1757年にインドで「プラッシーの戦い」が行われた日。
プラッシーとはインド東部・ベンガル地方にあった村のことで、ここでイギリス東インド会社の軍と、ベンガル太守とフランスの連合軍が戦った。

「会社」が軍隊を持って戦争をはじめるというのは、現代の常識からはかけ離れていて、もうマンガの世界の話だ。
このイギリス東インド会社は軍事力のほかにも、現地住民から税金を徴収する権利や、法律を制定し、施行する権利さえ持っていた。
日本の歴史で例えるなら、「幕府」のような強大な力と権限を持つ統治組織だ。

 

この戦いが起こる前、インドではムガル帝国が弱体化したことで、各地で独立勢力が生まれていた。
この点、室町幕府が統治能力を失い、各地で戦国大名が現れたことと似ている。
「太守」とは、本来はムガル皇帝から地方の統治をまかされた長官にすぎないが、この時は中央政府から独立し、ベンガル太守は王のような存在となっていた。

イギリス東インド会社がベンガル地方に進出してくると、ベンガル太守は「これはかなりマズイ!」と危機感を強め、フランス東インド会社に支援を求めた。すると、「反英」で利害が一致したため、連合軍となってイギリス軍と戦うこととなる。

こうして1757年6月23日にはじまったプラッシーの戦いで、イギリス軍がベンガル太守&フランス軍を破って勝利をつかむ。
フランスはこの敗戦につづき、翌年に南インドで発生した第三次カーナティック戦争でもイギリスに敗北したため、インドからの撤退を決めた。

プラッシーの戦いで勝利したイギリスは、これをきっかけにインド支配を本格化させ、やがて全インドがイギリスの植民地となった。

 

 

プラッシーの戦いに負け、殺害されたベンガル太守(上)
それに勝ち、イギリスによるインド支配の基礎を築いたロバート・クライヴ(下)。

 

 

プラッシーの戦いを日本の歴史で例えるなら、それはきっと日清・日露戦争になる。
1894年に朝鮮で大規模な内乱(甲午農民戦争)が発生すると、朝鮮国王は「これはかなりマズイ!」と危機感を強め、清に軍事支援を求めた。
要請に応じて清が出兵すると、天津条約により、日本も朝鮮へ出兵したことで両軍が対峙し、日清戦争がぼっ発。
この戦いに敗れた清は朝鮮半島から事実上撤退し、逆に日本は影響力を強めていく。

日本には「ラウンド2」があり、朝鮮の支配権をめぐって、今度は1904年にロシアと戦端を開く。
この日露戦争で敗北したロシアは朝鮮から撤退し、勝った日本はアメリカにも認められ、翌1905年に朝鮮を保護国とする。
そして、1910年の日韓併合によって大韓帝国は日本に吸収され、植民地となった。
「インド大地はインド人のもの」や「朝鮮の天地は朝鮮人のもの」といった主張は、帝国主義の時代には通用しなかったのだ。

 

ということで、日清・日露戦争で勝利して朝鮮を支配した日本は、プラッシーの戦いとその後のイギリスと似ている。戦いに負けてインドから撤退したフランスは、朝鮮から手を引いた清やロシアとそっくり。
大きな違いは、インド人はこの出来事を過去の歴史と考え、現在のイギリスと争うことはないが、日韓では今でも政治問題になり、対立に発展する点にある。

 

 

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3 件のコメント

  • 韓半島は高麗時代までは仏教の国でした。
    世界を席巻したモンゴルが1238年に高麗に侵入した時、彼らは高麗を精神的に破壊するために皇龍寺を燃やしました。皇龍寺は新羅時代の553年に創建された寺院で、その大きさは82,645平方メートルでした。皇龍寺が今まで残っていれば、世界的な文化財でしょう。モンゴルは数多くの高麗の民を奴隷として捕らえ、女性を貢女として連れて行きました。しかし、今の韓国人はそれを単に歴史だと思っています。しかし、日本はわずか35年間、朝鮮を統治したのがすべてなのに、現在の韓国人はそれを歴史と見なさず、現実として考えます。ミステリーです。

  • そうなんですね。
    韓国の歴史教科書では、その35年のために使われているページ数がとても多いです。
    これが対日観に決定的な影響を与えていますね。

  • ははは、中国人や満州人のことは怖いからでしょう。
    いくら喧嘩を売っても、現代の日本はさほど強く反撃して来ないですから。
    まあでも「仏の顔も三度」と言います。あまり調子に乗らない方がいいと思いますけどね。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。