“鬼畜”のピサロ 皇帝をだまして処刑し、インカ帝国を滅ぼす

 

きょう6月26日は、スペイン人のフランシスコ・ピサロの命日だ。
RIP(安らかに眠れ)。
ピサロの職業は軍人で、探検家であり、人間性は“鬼畜”だった。

 

ピサロ

 

ピサロは現在のペルーの地に侵入(侵略)すると、軍を率いてインカ帝国と戦って勝利し、1533年に皇帝アタワルパを生け捕りにする。
勝因はいくつもあるが、スペイン人は鉄砲という強力な兵器を持っていたし、イベリア半島でイスラム教徒を相手に数百年も戦っていた経験があったことなどが挙げられる。
文明力と戦術の面で、スペイン軍はインカ帝国を上回っていたのだ。

捕虜となったアタワルパは、ピサロに金や銀と引き換えに、命を助けてほしいと取引を持ちかける。
その条件とは、彼が閉じ込められている部屋(約7m×5m)の高さ2.75mまでを黄金で満たし、さらにその2倍の量の銀を用意し、すべてピサロに提供するというものだった。
交渉が成立すると、アタワルパは国中から金と銀をかき集め、3つの部屋を金と銀で埋め尽くす。
その量は、金6トンと銀12トンだったとか。

途方もない財産を手に入れたピサロは満面の笑みで、「約束どおり、おまえを解放しよう」と言うことはなかった。
アタワルパは、兄の殺害やピサロとその軍への敵対行為など、12の罪で有罪判決を言い渡され、1533年8月29日に処刑された。

Atahualpa was convicted of 12 charges, including killing his brother and plotting against Pizarro and his forces. He was executed by garrote on 29 August 1533.

Francisco Pizarro

ピサロにだまされ、処刑される皇帝アタワルパ

 

同じ年(1533年)、ピサロは首都クスコに入り、インカ帝国は滅亡した。
その後、インカの残存勢力はスペイン軍に抵抗したが、「皇帝」だったトゥパク・アマルが1572年に処刑され、インカ帝国は完全に地上から姿を消えた。

クスコは山の高地にあって、首都としては不便だったため、ピサロは1535年にペルーの海岸近くに都市を建設する。それが現在のチリの首都であるリマ市だ。
ピサロはアタワルパの妻を妾にして2人の子どもを産ませ、最期は1541年6月26日にリマで暗殺された。

 

それから時は流れて2004年に、「国民感情に合わない」という理由でリマ市長が市内にあったピサロの像を撤去し、そこには代わりにペルーの旗が掲げられた。
彼の像はいま、リマ市内に台座のない状態で置かれているらしい。
流した血と奪った命を考えると、「RIP」も撤回していいかも。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。