「さっすが、イスラーム教の国だ!」
と、思わずにはいられないニュースがあった。
「バレンタインを祝うことはイスラーム教の教えに反する!」ということで、パキスタンでバレンタインを祝うことを禁止された。
裁判所がそんな判決をくだしていてる。
イスラーム教を国教としている国はやっぱり厳しい。
CNNの記事(2017.02.14)から。
イスラマバード(CNN) パキスタンの首都イスラマバードの裁判所は13日、全土でバレンタインを祝うことを禁止する命令を言い渡した。禁止令は即日発効する。
裁判所の命令では、インターネットや印刷媒体の広告でバレンタインデーに言及したり、関連商品を販売したりすることを禁止。公共の場や官公庁でバレンタインを祝うことも認めないとした。
パキスタンでは、バレンタインを「反イスラーム的だ!」「非道徳的だ!」とみなす意見が多くあるという。
でも逆にいったら、これまではバレンタインを祝うことはOKだったということ。
だから今までは、バレンタイン用のチョコや花束を売っていた。
そんな人たちはこのバレンタイン禁止令に反対している。
反対しても、法律でそう決まったならそれに従うしかない。
パキスタンで住むなら、パキスタンのルールを守らないといけないのだから。
これは旅行者も同じ。
さらには、多文化共生社会でも大切な考え方。
パキスタンのラホールという都市
歩きスマホなんて、絶対にムリな街
ちなみに、パキスタンとはこんな国。
面積は、79.6万平方キロメートル(日本の約2倍)
人口は、1億9540万人(2015/2016年度パキスタン経済白書
首都は、イスラマバード
民族は、パンジャブ人,シンド人,パシュトゥーン人,バローチ人
言語は、ウルドゥー語(国語),英語(公用語)
パキスタンに「フンザ」というところがある。
ここが風の谷のナウシカの「風の谷」のモデルになったという話を聞いた。
本当かは知らないけど。
ではでは、前回の続きです。
まずはインドネシアってどんな国か?
今回の記事のテーマにかかわることでもあるので、簡単に紹介しよう。
インドネシア共和国は島国だ。
それも18000もの島があるという。
日本にある島の数はおよそ6850だから、だいたいその3倍。
インドネシア人の友人に話では、「じゃんけんぽん!」の言い方も島によって違うらしい。
インドネシアは他民族・多宗教の国で、国内の宗教の状況はこんな感じ。
イスラム教は88.1%、キリスト教9.3%、ヒンズー教1.8%ほか(宗教省(2010年))。世界最大のイスラム人口を有するが、イスラム教は国教ではない。
国内にいろいろな言葉・民族・宗教があるインドネシアでは、「一人一人違いはあっても、みんなで協力しよう」ということが大事な考え方になる。
これがインドネシアのスローガン。
いろいろな文化、民族、言語、宗教が共存しているインドネシアを一言であらわすなら、「BHINNEKA TUNGGAL IKA(多様性の中の統一)」になる。
これは多文化共生社会でも大切な考え方。
2011年に、AKB48の姉妹グループとしては海外初となるJKT48が結成された。
日本とインドネシアとでは、価値観や社会のルールが大きく違っている。
だから前回までに、日本のAKBがどんなふうに「インドネシア(イスラム)化」していったのかを書いてきた。
「JKT48のメンバーは、どこまで肌を出していいのか?AKBのようなミニスカートをはいても怒られないのか?」
「ラマダン(断食)の期間は、JKT48にどんな影響を与えるのか?」
今回書くのは、JKT48の活動でボクが「一番インドネシアらしい」と感じたこと。
JKT48は、ライブの直前で円陣を組むらしい。
本家のAKB48でも、ライブ前に円陣を組んでかけ声を出しているのをテレビ番組で見たことがある。
円陣そのものは外国にもあるけど、このJKT48の円陣とかけ声はAKBがJKT48に教えたのだと思う。
この円陣のやり方が、インドネシアという国をよくあらわしている。
JKT48のメンバーには、イスラーム教徒だけではなくてキリスト教徒や仏教徒もいる。
「今からライブを全力でがんばるぞ!」と円陣を組むときに、メンバーはそれぞれの神に祈るという。
JKT48の円陣のやり方は、日本とはまったく違う。
日本人も公演や試合前に円陣を組むことがあるけど、神や仏は関係ない。
「それぞれの神に祈りましょう」と言われても、どの神様に祈ればいいのかわからない。
仏か?観音菩薩か?
天照大神か?地元の神社の神様か?
AKB48がする円陣でも、宗教は関係ないだろう。
みんなで声を出して気合を入れる、というだけのものだと思う。
インドネシアでは違う。
同じ目的のために、みんなで円陣を組むことまでは日本と同じ。
でもその後、一人一人心のなかでゴッドやアッラーやブッダなどそれぞれの神や仏に誓う。
これには、「BHINNEKA TUNGGAL IKA(多様性の中の統一)」というインドネシアらしさがよくあらわれてる。
キリスト教やイスラーム教では、神と人の関係(契約)の考え方が日本とは違っている。
だからわかりにくい。
そもそも日本の「神」には、ゴッドやアッラーという意味での神はいないしね。
くわしくは下の記事をどうぞ↓
アメリカ人と京都旅⑨ 「アメリカは、神への宣誓をしすぎじゃない?大統領とか裁判所とか」
アメリカ人と京都旅⑩ 日本とアメリカとの宗教観(誓い方・宣誓)の違い
インドネシアのボロブドゥール遺跡の仏像
日本のAKBがインドネシアの社会で受け入れられるためには、日本のやり方をそのまま当てはめてはいけない。
インドネシアの価値観やルールを尊重して、インドネシアの社会に合うように変えていくことが絶対に必要。
価値観や考え方が違う外国で生活するためには、その社会に合うように自分を変えていく必要がある。
インドネシア人が日本に住む場合も同じ。
日本の社会に自分を合わせるように努力する必要がある。
最近、浜松市でこんなニュースが話題となった。
静岡新聞NEWS(2017/2/7)から。
学校生活、給食など苦慮 ムスリムの子に「理解を」
この記事で、浜松市に住んでいるイスラーム教徒のインドネシア人が日本での生活で不便な点を話している。
そして、イスラーム教徒の子どもでも食べられるように、「ハラール」に対応した学校給食を出してほしいとか学校や職場でイスラーム教の礼拝をしたいなど、いろいろなことを訴えている。
外国人のこうした声はとても大切。
外国人が日本で住むには、いろいろ大変なことがあるはず。
それを同じ地域の日本人に伝えて、知ってもらうことには意義がある。
でも最終的には、日本の価値観や社会のルールを守る必要がある。
多文化共生社会では、日本人も外国人も等しく一定のルールを守って生活することが絶対に必要だから。
「外国人が日本で生活するということは、こんなに大変なんです」ということを言うことは自由だし、その権利も守られるべき。
それは、日本の憲法で保障された日本の価値観だから。
でも、最終的には日本の価値観を尊重するべき。
いき過ぎた自由や権利を認めてしまうことは、結果として多文化共生社会を壊すことになってしまうから。
日本に住むと決めた以上は、外国人も日本の社会のルールに従って行動する必要が出てくる。
それは日本人だって同じ。
多文化共生社会の基本的な考え方は、AKBがインドネシアで受け入れらるために「インドネシア化」したことと同じだと思う。
こちらの記事もいかがですか?
東南アジアの「ゆる~い」イスラム教、仏像に手を合わせていいの?
いや、日本に住むなら、日本の文化を象徴するべきだ。
浜松市に住んでいるイスラーム教徒のインドネシア人が日本での生活で不便な点を話している。
正直それなら日本に住まず、イスラム教の色が強い国に住むべき。
因みに私はイスラムだが、お祈りしないし、酒飲むし豚を食べます。因みに神を信じていません。
正直宗教なんてどうでもいい。
色々の国の人に出会いそう思えました。
日本の価値観や文化を尊重しないと共生は無理でしょうね。
浜松はうまくやっていると思いますよ。
それと、ここに載せられるようにコメントは一部変えさせてもらいました。