【倭国と百済】現代の日本と韓国でまるで違う歴史認識

 

660年の7月18日、唐&新羅の連合軍の攻撃を受けて百済が滅亡した。
ということで、今回は哀悼の意をこめて、百済と日本の関係を中心に書いていこう。

きょねん韓国メディアのイーデイリーに、「韓流の元祖スーパースター…王仁博士、日本に行く」と題するコラムがあった。(2023.03.24)

한류의 원조 슈퍼스타…왕인 박사, 일본에 가다[여행]

今の日本で大ブームになっている韓流の起源は約1500年前、朝鮮半島の百済(くだら)にある。
当時、日本は百済の先進的な文化や文明を切望していたので、百済の王はその願いをかなえるために、知識人の王仁(わに)を日本へ派遣した。
そして、彼は漢字や千字文といった新しい知識を伝えてあげた。
つまり、古代の日本にとって「百済は先進文明の窓口であり、新世界」だったとこのコラムは強調する。

もちろん、これは韓国側の見方で、日本では別世界が広がっている。
古代の日本が百済から知識や技術を学んだことは間違いないが、その「先生」は百済人か中国人か、それとも倭国(日本)の人かは明らかになっていない。
それに、千字文は王仁が来る前から日本にあったから、王仁の存在自体が疑問視されている。
もし、そんな人物がいたとしても、名字が「王」と一字であるため、この“韓流の元祖スーパースター”は中国人という説が有力だ。
それに、韓国側は受け入れないだろうけど、古代の日本は百済を「属国」とみなしていた。

 

上のコラムでは、滅亡した百済の人たちが日本へやってくると、日本人は彼らを上座に座らせ、 極上の待遇をしたと書いてある。
そして、百済人は失われた祖国を「大国」と呼んでいたことから、日本で「大国」を「クダラ」と呼ぶようになり、百済を指す名前となったという。

このへんの認識も日本とは違う。
当時の日本が亡命百済人を受け入れ、彼らを厚遇したという資料はあるが、自分たちよりも「上位の存在」と考えたという話は聞いたことがない。
百済を「くだら」と読む理由も分かっていない。

古代の日本人が百済の先進的な知識や技術を切望していたとか、文明国の百済人を尊敬し、あこがれていたなどの文章は、現代の韓国人の感情に沿っている。そういう文を読むと自尊心が満たされ、良い気持ちになれるのだ。
メディアが利益を出すためには、たくさんの読者に喜ばれ、読まれる文章を掲載する必要がある。
すると結果的に、歴史の事実は後回しにされてしまう。
「切望していた」のように、感情的で主観的な記述のある古代の歴史資料があったら、ぜひ見てみたい。

 

コラムは、価値のないことを表す「くだらない」という日本語の由来についても、残念な説明をしている。

「‘훌륭한 것은 모두 백제에 있으니, 백제 것이 아니라면 하찮다’는 말이다. 옛날 일본 사람들이 백제를 선망의 대상으로 삼았던 흔적이 언어에 녹아 지금까지 내려오고 있으니 ‘원조 한류’라고 할 만하다.」

*大体こんな内容だ。

「くだらない」とは、優れたものはすべて百済にあるので、百済のものでなければ取るに足らないという意味だ。昔の日本人が百済を羨望の対象としていた痕跡が言語に溶け込んで今に至っているのだから、「元祖韓流」と呼ぶにふさわしい。

しかし、これも日本の見解とは違う。
「くだらない」という言葉については、ボク自身、苦い思い出がある。
10年ほど前、20代の韓国人女性と「江戸東京博物館」へ行って、ガイドの説明を受けながら館内を見学していた。
その時、ガイドが使った「くだらない」という言葉に彼女が反応して、「その言葉の由来は、“百済に無いものは価値が無い”ということなのです」と嬉しそうに言う。
すると、ガイドは「いいえ、それは違いますよ」とやんわり否定し、こんな話をした。

江戸時代に、京都や大坂をなどの上方(かみがた)でつくられた酒で、上質のものは日本最大の消費地である江戸へ運ばれ、それらは「下り酒」として尊重されていた。
*現代の東京を中心とする「上り・下り」の考え方と違って、当時は関西から江戸へ運ばれることを「下る」と言っていた。
上方から来たものではなければ、質が悪いと思われたため、それらは「くだらない」と呼ばれるようになる。

ガイドは笑顔を浮かべてそんな説明をしたのだけど、目が笑っていなかった。
内心では「デタラメなこと言うなよ」と不快に思っていたようで、全体の印象としては冷たかった。
隣にいた知人はそれまで信じていたことを否定され、そんな態度に接したことで黙ってしまった。あの時の気まずい空気は今も覚えている。

ちなみに、質の悪い酒は主に現地で消費され、江戸に下らないことから、「くだらない」という言葉ができたという説もある。

できの悪いものや価値の無いものを指す「くだらない」の語源としては、よく上記の説が指摘され、『アエラ』の記事にもそう書いてある。(2021/07/31)

「くだらない」の語源に密接に関係する家康と秀吉の決断

ただ、「くだらない」の語源は正確には分かっていない。
ただ、どんな説にしても、江戸時代のころにできたとするなら、「百済ない」説はありえない。
それなりに韓国では、今でもこの説がメディアで紹介されていることを知ってビックリした。

 

百済から日本に新しい知識や技術が持ち込まれたことや、国を失った後、亡命してきた百済人が日本の発展に貢献したことは間違いない。
しかし、その事実を国民感情をベースにして再構築すると、日本では「ファンタジー史観」とあきれられることになる。
「大国が“クダラ”になった」とか、「百済に存在しないものは価値が無い」といった根拠の無い説をメディアが書くと、それを事実と信じる読者も出てくる。
そして、そんな誤解を抱いたまま日本へ来ると、恥ずかしい思いをすることもある。
古代の日本人と百済人は、お互いに上下優劣を競うことはなかったと思う。
現在の韓流ブームを後押ししたいのなら、韓国メディアは感情を抜きにして、歴史をそのまま伝えたほうがいい。
それでは面白味に欠けて、読者に喜ばれないとしても。

 

 

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3 件のコメント

  • 日本人たちが良いことがある時に”わっしょい”という気合いの音を出します。
    そのワッショイは韓国語の「왔소(英語の意味はcome)」と発音が似ています。
    そのため、一部の韓国の学者は、このわっしょいを百済の王仁博士を歓迎しようと、当時の日本人が百済式の発音をしたことに由来すると述べています。

  • 大阪に「四天王寺ワッソ」という祭りがあります
    日本語「ワッショイ」の語源は韓国語の「ワッソ」(来た)という説があって、それが「四天王寺ワッソ」という名称の由来になりました。
    しかし、朝鮮半島で「ワッソ」という言葉が使われはじめたのは16世紀以降です。
    日本では今では否定されていますが、韓国では信じている人もいるんですね。

  • 百済が新羅・唐の連合軍に滅ぼされたのが西暦660年、朝鮮半島最古の現存する歴史書である「三国史記」が成立したのが1143年なので、その間に約500年もの経過があります。でもって、その500年間の出来事を全て自国で伝承できるはずもなく、三国史記ではその時期の記述の多くを中国の史書に拠っています。
    これに対し、日本書紀の成立は百済が滅亡したすぐ後、720年のことです。つまり、
    > 当時の日本が亡命百済人を受け入れ、彼らを厚遇したという資料
    は現存します。
    しかし、
    > 滅亡した百済の人たちが日本へやってくると、日本人は彼らを上座に座らせ、極上の待遇をした
    > 古代の日本人が百済の先進的な知識や技術を切望していたとか、文明国の百済人を尊敬し、あこがれていた
    などと、何を根拠に主張できるのでしょうね?
    歴史的事実と願望をごっちゃ混ぜにした感情論としか思えないな。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。