ヤルタからマルタへ:やっと冷戦は終了した、と思ったら…

 

7月31日は1991年に「スタート」があった日。
アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が地中海に浮かぶマルタ島で会談を行い、第一次戦略兵器削減条約(START I)に調印した画期的な日だ。
これで米ソが持てる戦略核弾頭は最大で6000発に制限され、ICBMや爆撃機など戦略核兵器を運ぶ手段も1600機に削減されることとなった。

 

第二次世界大戦後、アメリカをリーダーとし、資本主義を支持する西側陣営と、ソ連をビッグボスし、社会主義を支持する東側陣営が激しく対立した。
米ソは互いに核兵器を持っていたから、戦争をしたら両方が負けることは明白。
それで、直接的な武力衝突はしないが、いつそうなるか分からないような緊張状態がつづき、「冷たい戦争」と呼ばれた。
軍事力を使わない冷戦では、間接的に米ソが戦う場面がいくつもあった。
朝鮮戦争でアメリカは韓国、ソ連は北朝鮮を軍事的に支援し、ベトナム戦争でもアメリカは南ベトナム、ソ連は北ベトナムを支持した。また、アンゴラではソ連が政府軍、アメリカは反政府勢力を軍事支援したことで内戦は激化し、100万人が犠牲になったといわれる。
冷戦時代、アジアやアフリカなど、世界各地で米ソの「代理戦争」がぼっ発したのだ。

朝鮮戦争の際には、中国が北朝鮮に援軍を送り、米軍を中心とする国連軍と戦った。
中国の軍隊は本来なら「人民解放軍」なのだけど、このとき中国は「義勇軍」と称した。中国はアメリカと戦争状態になることを避けるため、「中国の正式な軍隊ではないですよ」というカタチにしたかったのだ。

 

ヤルタ会談に出席した米英ソのトップ

 

しかし、結局は社会主義体制が崩壊(=実質的にソ連の敗北)し、1989年12月、米ソのトップがマルタ会談を行い、両首脳によって冷戦の終結が宣言された。
それから44年前、1945年に米国のルーズベルト大統領、ソ連のスターリン書記長、そして英国のチャーチル首相がクリミア半島のヤルタに集まり、第二次世界大戦後の世界について話し合う「ヤルタ会談」が行われた。
これを冷戦のスタートと考え、マルタで終わったことから、キャッチーに「ヤルタからマルタへ(From Yalta to Malta)」と表現されることもある。

最終的に米ソによる冷戦は、両首脳によって1989年に終結が宣言された。
1991年の第一次戦略兵器削減条約によって、冷戦の象徴だった核開発競争が否定され、核兵器が制限されたことは、宣言の具体的なあらわれとなる。
これで冷戦は名実ともにも終わったのだ。
そう思った時期がオレにもありました…。

 

マルタで食事をするゴルバチョフとブッシュ

 

マルタ会談でゴルバチョフ書記長は、

「世界は一つの時代を克服し、新たな時代へ向かっている。我々は長く、平和に満ちた時代を歩き始めた。武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった。」

と宣言し、ブッシュ大統領も、

「我々は永続的な平和と、東西関係が持続的な共同関係になることを実現することができる。これはマルタで、ゴルバチョフ議長と私がまさに始めようとする未来の姿だ。」

と誇らしげに語り、冷戦の終了を確認した。…はずだったのに、最近、知人のアメリカ人と話をしていたら、アメリカでは現在のウクライナ戦争を「冷戦の続き」と見る人も多いと知った。

読売新聞でも専門家が「世界は一つ」というのは幻想で、世界はまだ冷戦の中にいると語っている。(2022/03/20)

ロシアのウクライナ侵攻・東西冷戦、終わっていない…歴史家 スティーブン・コトキン氏 63[あすへの考]

世界は一つの時代を克服し、東西関係が持続的な共同関係になったはずに、冷戦の「ラウンド2」がはじまってしまったらしい。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。