日本人の「歴史無知」に、リトアニア人がイラッとする

 

きょう8月27日は1991年に、欧州共同体がバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)の独立を承認した日。ということで、まずはワタクシメの失敗談をお話しよう。

数年前、日本に住んでいた知人のリトアニア人が母国に一時帰国することになって、「2週間後に戻ってくる。君にお土産を渡したいけど、何か欲しいものはある?」と聞かれたが、リトアニアの名産品なんて何一つ思い浮かばない。
「それはありがとう!」とメールで返事をした後、ネットで探すと、リトアニア在住の日本人がおすすめのお土産を紹介するサイトを見つけた。
そこで、まずリトアニアの伝統的なお菓子「シャコティス(リトアニア語で šakotis)」を発見。ドイツのバウムクーヘンとよく似ていることから、シャコティスはバウムクーヘンの起源になったという説もある。

それと、予想外のマトリョーシカ人形もあった。
マトリョーシカはロシア人女性の名前だけど、この人形のルーツは日本という説がある。
19世紀末、箱根にやってきたロシア人の修道士が七福神の入れ子人形を手に入れ、それをロシアへのお土産に持ち帰ったことで、マトリョーシカが生まれたという。
リトアニアにも、この人形があるというのはまったく知らなかった。前々から興味があったから、これも「欲しいものリスト」に加えて彼にメールする。
返ってきたメールを見ると、シャコティスはいいとして、彼にとってはマトリョーシカ人形は理解不能だったようだ。

「That doll, called Matrioška is Russian
Where you find those things?
I mean, why those?」

「マトリョーシカと呼ばれるそのはロシアのものだ。
君はそれをどこで見つけた? というか、なんでそれなんだ?」

 

リトアニア人にもらったサラミ

 

リトアニアは第二次世界大戦中からずっとソ連に支配されていて、1990年3月11日に独立回復を宣言した。
それまでのソ連による支配は過酷にして残酷で、何十万人ものリトアニア市民が殺害された。戦後直後にはソ連に対する抵抗運動も起きたが、数万人の活動家が殺され、ソ連の支配は「鉄壁」のものとなった。

相手はそんな血も涙もない国だから、1990年3月にリトアニアが独立回復を宣言して、「さようなら、そしてありがとう」とさわやかに別れられるはずがない。
怒ったソ連は経済封鎖を行ってリトアニア人を締め上げ、独立回復の撤回を要求したが、リトアニアは「だが断る!」と断固拒否。
すると、今度は武力行使に出る。
1991年1月にソ連軍が攻めてきて、独立を守ろうとする国民と衝突し、リトアニア側で少なくとも14人が殺され、約4000人が重軽傷を負った。
この「血の日曜日事件」を乗り越え、リトアニア・エストニア・ラトビアのバルト三国は1991年8月27日、欧州共同体からの独立を承認され、9月6日はソ連からも独立を認めさせることに成功した。(リトアニア独立革命

 

後日、知人に会って話を聞くと、彼はリトアニアでマトリョーシカ人形を見たことがないし、それはロシア文化に属するものだと考えていた。
政治と文化は分けて考えるべきだとしても、マトリョーシカ人形はソ連による残酷で屈辱的な支配を連想させるから、外国人がそれを「リトアニア土産」として認識している状況は、彼にとっては不愉快らしい。
それを「おすすめの土産」に選んだリトアニア在住の日本人も、くわしい背景を理解していなかったのだろう。
ほとんどの日本人はリトアニアとソ連の関係なんて知らないから、日本でも有名なマトリョーシカ人形を見たら、「あ、これ欲しい」と無邪気に反応すると思う。
しかし、その無知や無神経はきっとリトアニア人をイラつかせる。

 

それでも、彼がお土産で買ってきてくれたマトリョーシカ人形

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。