アメリカ人というと、日本人の間では「謝らない」というイメージが強くある。
そんな経験をしたり話を聞いたりして、理由を知りたくなる人が多いから、『謝らないアメリカ人、すぐ謝る日本人』という本も出版されている。
最近、40代のアメリカ人男性とファミレスでそのことを話し合ったので、これから内容を書いていこう。
ーー胴長短足でメガネをかけたおっさん?
そうじゃない。見た目はやさしそうな顔をした、50代ぐらいのおばさんだ。
この店のコーヒーマシンでは、カフェラテが出来上がるまでに30秒ほどかかる。
それで、俺がグラスを持って横に立っていたら、おばちゃんがカフェラテの入ったコップを急いで取って、「すみません。お待たせしました」って言って頭を下げて離れていったんだ。
ーー「申し訳ない」の感覚の違いね。
日本人は罪悪感を感じてすぐに謝るけど、アメリカ人はそうじゃない。まるで、「謝ったら死ぬ病」にかかっているかのように拒否する。
そのへんの感覚が違うから、アメリカ人と付き合う日本人はイライラして、ネットでは「アメリカ人が謝罪しない理由」について説明するサイトがいくつもある。
そんな病気は聞いたことねーよ。
アメリカ人は一般的に、謝罪と責任はセットになっていると考えているから、自分に責任がないと思うことには、頭を下げないだけだ。それは合理的な発想だろ?
さっきの場合、コーヒーマシンがカフェラテを作っていただけで、おばさんが俺を待たせたわけじゃない。そうなったのは俺が彼女より遅く来たからで、むしろ責任はこっちにある。だから、俺は何とも思っていなかったのに、彼女が勝手に責任を感じて頭を下げたから、「日本人らしいな」って思ったんだ。
ーーアメリカだとそういう状況になったら、隣の人に話しかけて、
「この店のコーヒー、飲み放題のわりにはおいしいのよ」
「そうだね、良い豆を使ってるみたいだ」
「あっ、もうできたみたい。では、良い日を」
「あなたも」
というカジュアルな会話が生まれる予感。
そこで目を合わせないで、お互いに黙っているのも日本人っぽい。
俺は日本に住んでいるから、あの感覚が理解できる。
でも、普通のアメリカ人なら、「なぜ彼女は謝ったんだ?」って不思議に思う人が多いだろうな。うっかり相手にカフェラテをかけたら、謝罪するのはわかるだけど。
まえに日本人から、「アメリカ人はすぐに謝らないから、イラっとくることがある」と言われたことがあるけど、俺からしたら、日本人の謝罪は軽く聞こえてイラっとすることがある。
ーーあるバングラデシュ人は日本に来て、「すみません」という日本語をすぐに覚えたと言っていた。その言葉はよく聞くし、日本での生活に必要不可欠らしい。
日本人は「迷惑をかける」ということに超敏感だからね。
でも、たとえば店の対応で、こっちは謝罪を必要としていないのに、店員は何度も「すみません」と言う。でも、事情を丁寧に説明しようとしないと、そういう態度は不誠実に見える。
ーーそういう文化の違いは、教育から生まれる要因が大きい。
だろうね。
むかし、俺が日本の中学校で働いていたころ、先生たちと「説教」について話をしていたんだ。彼らの話で「体罰はダメ」ということには共感できたけど、「生徒が自分の非を認めて、『すみませんでした』と頭を下げることが大切」という話には違和感を感じた。
俺としては素直に謝罪する態度よりも、そうなった理由や状況を教師に伝えることの方が重要だと思ったから。
もちろん、これはゼロか100かの極端な話じゃなくて。
ーー悪意はないんだろうけど、アメリカ人はそういう態度をとるから、たぶん日本人は「言い訳ばかりする」とイラッとくる。
でも、それは文化や価値観の違いで優劣はない。
日本の学校で働いていたアメリカ人から、日米の教育観の違いについてこんな話を聞いた。
アメリカの学校では、先生は子どもたちに具体的な知識や技術を伝えることが重要とされているけど、日本の学校では、人間性を高めることが大切にされている。だから、アメリカに比べて、日本の社会では先生が尊敬されている。
彼は日本人の先生から、「学校では人間を育てる。人間教育が大事なんだ」と聞いたけど、「人間教育」の意味があいまいでよく分からなかった。
ある意味、日本の教師は「宗教指導者」に近いのかもしれない。
「すぐに非を認めて謝る」というのは、俺にはリッパな人間というより、自信がなくて弱々しく見えるけどな。ビジネスでそんな人間がいたら、「大丈夫かコイツ?」と思ってしまう。
ーー日本の社会では一般的に、素直に頭を下げれば「それでヨシ」と許されるけど、アメリカ社会はそうじゃないという傾向があると思う。
アメリカではむしろ、謝ったら責任問題が発生して面倒な事態になりそう。
交通事故のときはそうだな。
それに、アメリカでは訴えられることも多いから、最初に自分の責任を認めてしまうと不利になることもある。
ーーこれは、日本に5年以上住んでいたイギリス人の女性から聞いた話。
彼女がある時、日本人と携帯電話で話をしていて「はい、すみません。よろしくお願いします」と言って電話を切った後、一緒にいたイギリス人の夫から「君はすっかり日本人になったね!」と驚かれた。
夫から指摘されて、「すみません」と言うと同時に、携帯電話を持ちながら頭を下げていたことに気がついたから、自分でもビックリしたらしい。
見えない相手に何度も頭を下げるのは、どう見ても奇妙だろ。今は俺もそうなっているわけだがww。
日本にいる外国人あるあるだ。
それと、夫は「すみません」という言葉が気になったから、妻に電話の内容を聞いた。
でも、そのイギリス人女性にとって、それは謝罪ではなくて一種の“あいさつ”だから、大した意味はない。
「すみません。お待たせしました」と言ったおばさんも、気持ちとしては、あいさつと謝罪の間にあったと思う。
なるほど。
やっぱり、日本人は繊細で分かりにくい。
「すみませーん」について、外国人から「店員に呼びかけするのになぜ謝罪するのか?」と聞かれたことがあります。元々はきっと、「お手数かけてすみませんが・・・」の意味だったのでしょうね。
「すみません」を謝罪と理解すると、外国人は日本で「え?」となることが多いと思います。
「すみませーん!」も今ではすごく軽い意味で、「ハロー!」と同じ感覚でしょうね。