【愛ゆえに】日本と韓国の“悪女”、日野富子と閔妃とは?

 

ほんじつ10月8日は、日本では1455年に日野富子が足利義政の妻(正室)になったメデタイ日で、韓国では1895年に王妃だった閔妃(ミンビ)が暗殺されたブラックな日。
ということで、今回のテーマは「悪女」だ。

 

「日本三大悪女」といえば、鎌倉時代の北条政子と安土桃山時代の淀殿、そして南北朝時代の日野富子がお約束。
日野富子が悪人とされる理由は、1467年の応仁の乱を引き起こしたことにある。「人の世虚(むな)し」の語呂合わせで、この年号を覚えた人も多いはず。
当時、日本国内は東軍・西軍の二つの陣営に分かれ、その後10年にわたって争い続けた結果、『応仁記』で「(都も地方も)修羅道トゾ成ニケル」と書かれるような地獄を生み出した。

この内乱が起きた原因に、富子の母としての「愛」がある。
一方、富子は20歳のころに待望の男の子が生まれたが、すぐに亡くなってしまう。あまりのいむごい仕打ちに、彼女は天を恨めばよかったのだが、富子は義政の乳母の「呪い」のせいだと決めつけ、彼女を流罪にし、自害に追い込んだ(殺されたという説もあり)。悪女の条件には残虐性がある。

この内乱が起きた原因に、富子の母としての「愛」がある。
富子は20歳のころに待望の男の子が生まれたが、すぐに亡くなってしまう。あまりの無情な仕打ちに、彼女は天を恨めばよかったのだが、富子は義政の乳母の「呪い」のせいで子どもが死んだと決めつけた。富子は彼女を流罪にし、自害に追い込む(殺されたという説もあり)。
残虐性は悪女の重要な条件だ。

その後、次の将軍となる男児が生まれなかったため、義政は弟の義視(よしみ)を将軍の後継者に決め、有力大名の細川勝元に義視のサポートを任せた。
すると、その瞬間を待っていたかのように、富子は男子(義尚:よしひさ)を出産する。富子には底知れない権力欲があり、息子への愛が止まらなかったため、何とかして自分の子を将軍にしようと考え、有力大名だった山名宗全に近づき、支持を取りつけた。
こうして、細川勝元を東軍総大将、山名宗全を西軍総大将とする2つの陣営に分かれ、各地の大名がどちらかにつき、激しい戦いが始まりって京都は焼け野原となり、多くの人が死んだ。
*応仁の乱が起きた原因にはほかの説もある。

そこまで大きな事態になるとは想像していなかった富子は、「もう争いをやめて!」と2人を止めることはなく、東西の陣営に戦いで必要な金を貸し付け、笑いが止まらないほどの大もうけをした。(その額は現在の価値にして60億円だったとも)
富子は両手を広げて、「争え… もっと争え…」と戦いをあおるようなことをしたため、「日本三大悪女」にリストアップされるようになった。
応仁の乱が終わると、富子は京都の入口に関所を設置し、通行料を徴収してさらに金もうけにいそしむ。
日本を「修羅道」に変えた彼女は、迷うことなく「銭道」を突き進む。

一方、足利義政はそんな妻とは距離を置き、銀閣寺を建てて、能楽、いけばな、茶道、水墨画などを発展させた。この時代に花開いた東山文化は、いまでは日本を代表する文化になっている。
ということで、夫は日本文化に貢献した人物、妻は「守銭奴」や「悪女」として歴史に名を残した。

 

次に紹介する「悪女」は韓国の閔妃(ミンビ)だ。
彼女は朝鮮国王・高宗の妃だったから、実質的な日本のトップである将軍の妻だった日野富子と立場は似ている。
19世紀末期に朝鮮を旅行し、閔妃と何度か会談を行ったイギリス人女性イザベラ・バードは、そのときの様子を『朝鮮紀行』にこう書いた。

「王妃は皇太子の健康に気を使い、日々、側室の子が王位をつぐのではないかと云う、不安にさらされていた。頻繁に呪術師を呼んだり、仏教寺院へ多額の寄付を続けた理由は、そこに起因していた。謁見中の大半は、母と子で手を繋いでいた。」

この皇太子は後に国王となる純宗だろう。
高宗が別の女性との間に子どもを産み、高宗の父親だった大院君がその子を朝鮮国王にしようとすると、閔妃は「そうはさせない!」と清(中国)に巨額のワイロを贈り、自分の子どもを国王にするための支援を取りつけた。
閔妃と義父の大院君との激しい権力争いが、国を傾ける大きな原因となる。

欲望と迷信が深かった彼女は呪術にハマり、国庫がカラッポになるほどの金を浪費してアヤシイ儀式を行った。皇太子の健康のためだったとしても、これはやり過ぎだ。
また、閔妃は真霊君(ジンヨングン)という女性の呪術師を頼り、彼女にさまざまな相談をした。真霊君には、自由に国王や妃である閔妃と会う権利が与えられ、彼女は国を動かすほどの大きな力を手に入れた。真霊君は自分にワイロを渡した人物を役人に採用したため、政治は乱れに乱れた。
そんな彼女は「陰の実力者になりたくて!」と思ったのかどうかは知らないが、実質的にそうとなった。
閔妃は呪術儀式のほかにも、俳優や歌手を毎晩のように招いて金を湯水のように使っていた。

もちろん、以上の金はすべて国民の血税だ。役人は民衆から搾取し、それをワイロに変えて出世したため、人々は疲弊し、生活は困窮していく。

 

韓国の大学の客員教授で著述家の崔 基鎬(チェ・ギホ)氏は閔妃について、『韓国 堕落の2000年史』の中で、「狂気の宮廷に君臨する女王」、「民衆を地獄の苦しみに突き落とした女」、「国費を浪費して国を滅ぼした恐ろしい女」とこき下ろしている。

*話はそれるが、崔氏の「日本人は韓国の歴史に対する無知が、逆に日韓関係を歪めてきたことを知るべきだ」という指摘は知っておいてもいい。

韓国ドラマを紹介するサイト『navicon』でも、閔妃は「国費で盛大な儀式を開催するなど国家財政を圧迫させ、亡国の悪女とも評された」と書かれている。

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朝鮮の近代化を目指していた金玉均らは、閔妃を追放しない限り、それは不可能だと考え、1884年にクーデター(甲申政変)を起こす。彼は人民の平等や不正官吏の処罰などを求め、国内改革を行おうとしたが、閔氏を支援する清によってその動きはつぶされた。
金玉均は1894年に閔氏派の刺客に暗殺され、遺体は朝鮮に運ばれた後、刃物で切り刻まれた。そんな彼女も、1895年の「乙未事変(いつびじへん)」で殺害され、この世を去る。

 

ということで、日本と韓国の「悪女」には金や権力への執着、それと我が子を思う深い愛情という共通点がある。もし、彼女たちが権力者でなかったなら、歴史に名を残すことはなかったが、良い母親として一生を終えていたかもしれない。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。