日韓の国民を対象にアンケート調査をすると、結果を見る前に、だいたいの結果は見えている。
おたがいに相手と良い関係を築くことが大切だと考えているけれど、歴史認識の違いによってそれがうまくいかない。
韓国側は「日本が真の反省や謝罪をしない」とイライラし、日本側は「何度謝っても韓国は納得しない」とウンザリする。
アンケートを行えば数値が多少動くだけで、全体的な結果はいつも変わらず、日韓の認識の違いが浮き彫りになる。
しかし、中央日報の記事によると、韓国内でも立場によって見方は分かれている。(2024.10.09)
国民42%「韓日、過去史の解決から」vs専門家36%「協力すれば解決」[韓国安保、国民に尋ねる]
中央日報と東アジア研究院が日韓関係についてアンケート調査をしたところ、次のような傾向が明らかになった。
学者や官僚、ジャーナリストらの専門家は、日韓が未来志向的な協力関係を築いていけば、歴史問題も徐々に解決されるだろうと考える人が多かった。それに対し、一般国民は、まず歴史問題を解決しなくては、そんな協力関係の構築は難しいと考える人が最も多かった。
専門家でいちばん多い見方は、「両国間の協力状況とは関係なく歴史問題は解決されないだろう」という“あきらめ”だ。
日韓関係において、国民は「感情」や「誠意」を重視していて、専門家とは意見が分かれたという。
もし、日本人に同じ質問をすればどうなるか?
最も多い意見は「過去史の解決から」でも「協力すれば解決」でもなく、きっと「歴史問題はすでに解決した(もう謝罪は不要)」というものになる。ここ数年のアンケート結果から、それは明らかだ。
日韓では歴史に対する認識がかけ離れているから、ちょっとしたことでよく炎上する。とくに第三者の外国人だと、何が地雷になるかわからない。
ある外国人が最近、SNSにハートマーク付きでこんなメッセージを投稿した。
「SEOUL and TOKYO Station in night view is so beautiful 🥰💕」
「ソウルと東京の駅はどっちも夜景がとてもきれい」
この人はこう書き込んで、トップ画像の旧ソウル駅の建物と現在の東京駅の画像を並べた。
これに対して、「わたしはソウル駅の方が好き」「俺は東京駅だね」「いや、どっちも良い」といったコメントが書き込まれたが、個人的には「これはヤバい」と直感した。
旧ソウル駅は日本統治時代に建築家の塚本 靖(やすし)が設計し、1925年に「ソウル(けいじょう)駅」として誕生したものだ。
だから、両方とも日本人が同じ時代に建設したもので、韓国は実質的に関係ないから、日韓の比較をしても意味がない。
予想どおり、ある韓国人がこの投稿にこんなコメントをした。
「Japan built Seoul station when korea was colony of Japan.」
(韓国が日本の植民地だった時代に、日本はソウル駅を建設した。)
これに日本人が反論する。
「Korea wasn’t a colony of Japan. It was Japan’s annexation of Korea. I would love to visit South Korea.」
(韓国は日本の植民地ではなかった。日本の領土の一部だった。)
これに両国民が意見を書き込み、「日韓戦」が始まった。
以下、日本語訳のみ。
「好きなように呼べばいい。植民地は植民地だ。」
「日本は韓国を併合したが、それは植民地化を意味しない。」
「加害者は自分たちの歴史を隠すのに忙しい。」
「韓国は日本の“copycat(まねばかりする)”だ。」
「いまは新しい駅がある。その古い駅は、日本が韓国を侵略して建てたものだ。」
「ソウル駅を見る場合、その建築的価値だけでなく、歴史の悲劇にも注意を払う必要がある。」
どちらかと言えば、ではなくて、明らかに韓国人のコメントのほうが多かった。
ある外国人はソウル駅がもつ「歴史の悲劇」に気づかず、「これはソウルのランドマークだ」と言って、韓国人を怒らせた。
建設中の京城駅(1924年)
日韓のどちらからも批判がなかったのは、こんなコメントだ。
「私は韓国人でソウルに住んでいる。写真のソウル駅は1960年代の朴正煕大統領の時代に、取り壊されそうになったことがある。しかし、破壊されずに文化財として残っているのはラッキーだ。」
過去の歴史は日韓の超敏感な問題なので、どちらも刺激しない中立的な意見を述べるには、絶妙なバランス感覚が必要になる。
【日本統治】“以前の韓国に人権はあり、幸せだったか?”で物議
> 過去の歴史は日韓の超敏感な問題なので、どちらも刺激しない中立的な意見を述べるには、絶妙なバランス感覚が必要になる。
そんな「絶妙なバランス感覚」をもって慎重に、相手を刺激しないよう、中立的な意見を述べる必要が、果たしてありますかね?(その人の立場にもよると思いますが。)
確かに、今まではそのように他国と揉め事を起こさないような姿勢が望ましいと言われてきました。それは、太平洋戦争での中国・韓国に対する行いへの「罪の意識」や、戦後教育におけるいわゆる「自虐史観」の影響もあったからだと思います。ですが、そんな考え方をいつまでも引きずって次世代にまで押し付けようとするのは、上の世代の「横暴」じゃないでしょうか。
これからの若い人は、慎重な発言を心がけるあまり「主張しない」ということは決して望ましくありません。自分がそうだと考えるのであれば、相手や周りの反応を気にしてばかりいないで、堂々と自分の意見を主張するべきです。
その程度のことができないと、今後いやおうなしに日本が巻き込まれていくであろう国際的競争の中で生き残っていくことも、あるいは万が一の紛争の場において「味方」の信用を勝ち得ることも、難しいと思いますよ。
発言は自由ですが、責任はともないます。