言葉は時代や場所が変わると、もとの意味とズレることがある。
たとえば、「情けは人の為(ため)ならず」ということわざ。これを「情けをかけること、結局はその人のためにならない」と誤解している日本人は多く、2001年に文化庁が調べたところ、約48%の人がそうカン違いしていたことが判明した。
本来の意味は「他人に情けをかけると、回り回って自分に良いことが返ってくる。だから、誰にでも親切にしなさい」というものなのに、文化庁の調査では、そう正しく理解している人は約47%と誤解している人よりも少なかった。
さて、秋になるとよくこんな言葉を見たり、聞いたりする。
「天高く 馬肥ゆる秋」
秋には空が高くなって青空が広がり、馬は食欲がマシマシになって、大きくたくましくなる、という意味。
蒸し暑い夏が終わって、さわやかな季節がやってきたことを伝えている。秋に好意的な表現だ。
“科学的”に見て、この言葉は正しい。
夏に比べて、秋の雲は高いところにできるから、空自体が高く見える。それに秋の空気は乾燥して透明感が高くなるため、青空が遠くまでクリアに見える。
そこまではいいとして、問題は後半部分だ。
「天高く馬肥ゆる秋」はもともとは中国から伝わった言葉で、この馬は「軍馬」を指す。
日本では、中国ほど戦いで馬を使わなかったため、軍馬になじみがなく、現代の日本人でも「馬肥ゆる」の部分には実感がわかないと思う。
それで、馬を人に代えて、「秋は収穫のシーズンだから、おいしいものをたくさん食べて太ってしまいますね〜」なんて言うキャスターもいた。
現代の日本ではその意味でもいい。しかし、本来の「天高く人肥ゆる秋」はそんな平和ボケした言葉ではないのだ。
万里の長城
古代中国にとって、北方にいた騎馬民族の存在は脅威的だった。
彼らは馬に乗って南下し、中国人の村々を襲って、貴重なものを奪って北方へ戻っていく。騎馬民族は風のように移動し、鬼のように強いから、古代中国の人々はその襲来に恐怖していた。
紀元前200年ごろ、冒頓 単于(ぼくとつ ぜんう)という英雄が登場すると、遊牧民の部族をまとめて匈奴帝国をつくる。
*単于は皇帝のような存在。
中国にとっては怒涛の勢いで南下し、「ヒャッハー!」と村や都市を襲って無慈悲に人を殺害し、財産を略奪する匈奴が長年の悩みのタネで、最大レベルの敵。
だから、秦の始皇帝は中国を統一した後、騎馬民族の侵入を防ぐために万里の長城を築いた。
匈奴は中国の王朝を滅ぼして、自分たちの新王朝を始めたかったわけではない。食べ物を奪うことが主要な目的だったから、秋の収穫シーズンになると、ドドドドッと大地を揺らしながらやってきて、農民が育てた作物を根こそぎ奪い、大地を血で染めて北方へ帰っていった。
奴隷にするために人間もさらっていったはず。
騎馬民族は機動能力が高く、略奪したらすぐに去る「ヒット・アンド・アウェイ」方式で移動していたから、捕らえることは超ハード。
彼らは侵略を開始する前、馬に食べ物を与えて体を大きくたくましくする。
『天高く 馬肥ゆる秋』という言葉は、唐の詩人が書いた「雲浄妖星落 秋高塞馬肥」という一文に由来し、その意味について『サイエンス・ポータル・チャイナ』にこんな説明がある。
「北方の騎馬民族の匈奴が、秋も深まり空が高く澄んで馬も元気に肥えるようになると大挙して略奪にやってくるので警戒するように、との意味」(秋高馬肥)
いっぽう、日本では「秋の季節のすばらしさ」を表す言葉になっていると日中の違いが指摘されている。
「妖星が落ちる」という『北斗の拳』っぽい言葉は不吉のサインで、これから恐ろしいことが起きることを暗示しているのだ。
古代中国の人びとにとって、秋は豊作を喜ぶだけなく、騎馬民族が襲ってくる恐怖のシーズンでもあった。
『天高く馬肥ゆる秋』は、本来は「そろそろヤツラが来るぞ。警戒をおこたるな!」ということを意味していたのだけど、現代の日本では「さわやかな季節」を意味するようになった。
時代や場所が変わると、言葉の意味が変化することはよくある。
匈奴に怯えていた古代中国人が住む場所をよべたなら、平和ボケできる国を選択したはず。
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