「貴様には死すら生ぬるい!」
そんなケンシロウ的な発想は世界に広くあって、死んでも生前の“悪行”は許されず、もうこの世にはいないのに罰を受けた有名な人物がいる。
今回は中国の歴史から、次回は英国の歴史から1人ずつピックアップして紹介しよう。
まずは南宋の秦檜(しんかい)。
12世紀の中国大陸では女真族が建てた 金と、漢民族の王朝・南宋が「絶対に負けられない戦い」をくり広げていた。
*日本人が「中国人」と聞いて、一般的に思い浮かべる人たちが漢民族だ。
このとき南宋では、北から進攻してくる金に対して「退かぬ! 媚びぬ! 省みぬ!」と徹底抗戦を主張した武将の岳飛と、「もうだめっぽい…」とあきらめて和議を結ぼうとする宰相の秦檜(しんかい)が対立していた。
結果、秦檜は反逆罪をでっち上げて岳飛を処刑に追い込んで、他の邪魔者も一掃した後、金と手を握る。
でもその内容は屈辱的で南宋は金へ領土をゆずり、皇帝は金の臣下という立ち位置になる。
そして“マスター”である金には毎年、銀25万両と絹25万疋を献上することが決められた。(紹興の和議)
後世の中国人は、金との決戦を主張して殺された岳飛を神として崇(あが)めるようになり、いまでも中国や台湾に岳飛を祀る廟があって、人々は彼の像にお供え物をして手を合わせている。
神となった岳飛
英雄を殺して和議に持ち込んだ秦檜(1091年 – 1155年)
そんな愛国者の武将を間接的に殺して、南宋を売り渡した秦檜は「売国奴」の象徴になり、全中国人の軽蔑と嫌悪を一身に集める存在となった。
って思うじゃないですか?
たしかに、秦檜と同じ時代を生きた儒学者の朱熹(しゅき:朱子学を始めた人)は厳しくこう批判した。
「秦檜は、和議を唱導して国を誤らせ、夷狄の力を頼んで天子を眩ませ、ついには人の守るべき道を踏みにじって、親を忘れ、君をあとまわしにした。これは、秦檜の大罪である。」
また16世紀の明の時代になると、岳飛を祀る廟の前に、罪人として両腕を背中で縛られて跪いて座らされる秦檜夫妻の銅像が作られて、人々はこの売国奴に唾を吐きかけていた。
でも、それは漢民族の視点。
満州族の清王朝の時代になると、金は先祖が建てた国だから、和議を結んで平和をもたらした秦檜を好意的に評価する人も出てきた。
そして20世紀になって漢民族が主流の中華人民共和国になったいま、秦檜はまた「キング・オブ・売国奴」に転落した。
数年前に杭州へ行ったとき、固く冷たい床に両膝をついた秦檜夫婦の像(たぶん明時代の物)がいきなり視界に入ってきてビックリした。
そして、秦檜の目を何度も傘で刺す人がいてドン引き。
中国人的な「貴様には死すら生ぬるい」がよくわかった瞬間だ。
涙を流しているように見える秦檜夫人
秦檜レベルの背信者、特に中国で漢民族に対する裏切者の「漢奸」は、死んで1000年近くが過ぎても忘れられないし、許されない。
これは法的なものではなくて、国民感情を害した罪。
異民族に国家の領土や尊厳をゆずりわたした秦檜の名誉が回復されることはないだろうから、この夫婦は頭を下げつづけて何をされても耐えるしかない。
もう永遠の売国奴だ。
次回に紹介するイングランドのクロムウェルも、死んでも人々から許されなかった人物だ。
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