日本と中国は古代から交流があって漢字を使っているから、文化や価値観では共通する部分は多い。が、実際に交流してみると、感覚の違いに戸惑うこともある。
今回は、日本に住んでいた中国人のヤン・ウェンリー(もちろん仮名)が感じた「自己紹介」への違和感を紹介しよう。違和感と、その理由を紹介しよう。
なぜ日本人は初対面で学校名を名乗るのか?
その背景には、両国の圧倒的な国土の広さや、社会の仕組みの違いが関わっている。
日本の自己紹介に感じた「違和感」
ヤンは中国の大学を卒業したあと、日本の大学院で3年ほど学び、今は母国に戻って働いている。
彼が日本にいたころ、大学の研究室には、月に一度ほど、日本の各地から高校生が見学に来ていた。大学側は将来の進路を考える彼らをサポートし、院生たちは高校生と話をして気分転換をしていた。
彼もその趣旨には賛成だが、自己紹介に違和感を感じていたという。
彼が初めてその「見学会」を体験したとき、高校生たちは部屋に入って一列に並び、名前と趣味を言ったあと「よろしくお願いします」と頭を下げた。そのさい、彼らが学校名まで伝えたから、彼は心の中で違和感をおぼえた。
なぜ初対面で「高校名」を名乗るのか
その後も、研究室にやってきた高校生たちは自己紹介で、漏れなく「〇〇県立△△高校から来ました」と言うから、彼はそのたびに不自然さを感じた。
こういう場合、中国でも同じように自己紹介をする。でも、言うのは自分の名前と出身の「省」、それと好きなこと(男ならスポーツ、女性ならダンスが多い)くらいだ。初対面の場で、わざわざ高校名を言うのは、彼からすると不自然で不必要に聞こえる。高校名を出されても「だから?」としか思えない。
日本人にとっての「学校名」の役割
ある日、日本人の友人に聞くと、意外な答えが返ってきた。
「学校名が会話のきっかけになるからだよ。もし同じ高校の出身だったら、それだけで一気に親しみがわくじゃん?「オナ高」って言葉もあるくらい、その偶然の一致は特別なことなんだ。違う県でも、『その高校、聞いたことがある。スポーツや文化祭で有名だよね?』と話が広がるかもしれない。話のきっかけとしては、高校名は中立的で安全だし、とりあえず言っておいて損はない。」
解決の鍵は「スケール感の違い」
その説明を聞いても、まったくピンとこなかった。彼は考えて達した結論は、日本と中国では圧倒的にスケールが違うということ。
中国は日本の20倍以上の国土をもち、10倍以上の人がいる。面積と人口から考えれば、中国人の感覚では日本全体が「一つの省」と同じくらいの規模になる。
中国と日本で異なる「話題の広げ方」
広大な中国で、初めて会った人に高校名を言ったとしても、相手がその学校を知っている確率はほぼゼロ。中国人の感覚では出身の省を言えば十分で、学校名を伝えることは話題を広げる手段にはならない。
しかし、日本は違う。コンパクトな島国では、高校名を出すことは相手との共通点を探るための有効なコミュニケーションとして機能する。
自己紹介が映し出す国の姿
このスケールを日本に当てはめると、自己紹介で出身の小学校を名乗るような感覚かもしれない。それなら、彼が感じた違和感や「無意味さ」も理解できる。
(実際のところは、いま自分が通っている高校名を言っているだけで、深い意味はない気がするが。)
自己紹介ひとつとっても、国の広さや社会の密度が反映されている。日本から見れば、中国はとんでもなくスケールが大きいのだ。

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