孫文は辛亥革命の指導者で、1912年に清王朝をぶっ倒して新しい中国をつくり、「中国革命の父」として中国や台湾で尊敬されている。
今からちょうど100年前、1924(大正13)年に、彼は神戸で行われた演説で、
「おい日本! これからおまえは覇道を行くのかい? それとも王道かい? どっちなんだい?」
と問いかけた。
彼はこの演説で、「アジア人が国を超えて団結し、西洋列強の侵略(植民地化)に対抗するべきだ!」という大アジア主義を強調する。立場は違うが、美術史家の岡倉天心も「アジアはひとつ」と提唱し、美の破壊者である西洋の帝国主義を批判したことがある。大アジア主義の理想は日本にもあったのだ。
孫文の言うアジアとは、日中韓の東アジアを念頭に置いていることは間違いない。それが東南アジアや西アジアまでも含めるのか、範囲はよくわからない。
孫文にとって、アジアの国々を侵略して植民地に変えていく西洋列強は「悪」で、そのやり方を覇道(武力によって人々を支配すること)と呼んで非難した。その一方、統治者が仁義によって国を治めることを王道と呼び、これが正しい政治のあり方とした。
覇道や王道の考え方は、中国の伝統的な思想である儒教に由来する。
孫文は東洋世界に昔からあるそんな考え方で、「弱い国は強国のエサになる」という帝国主義の西洋世界に対抗しようと訴え、日本に大アジア主義の“リーダー”であることの自覚を求めた。
日本は明治維新を成功させ、アジア初の近代国家となった後、日清・日露戦争に勝ち、第一次世界大戦(1914〜18年)の後には、アメリカ、フランス、イギリスと並ぶ世界五大国の一国となった。
孫文が「大アジア主義」の演説をしたころ、日本は世界が認める強大国だった。
彼はロシアに対する日本の勝利について、過去数百年における西洋人に対するアジア民族の最初の勝利で、西洋列強の支配下にいたアジアの人たちを歓喜させ、大きな希望を抱かせたと述べている。
しかし、重要なことは「これから」だ。
彼はそう賞賛した後、日本は今後、西洋列強と同じようにアジアで支配地を広げる覇道を行くのか、それとも仁義や道徳をもとにアジア諸国をまとめ、西洋の支配に対抗する王道を行くのかを日本国民に問いかけた。
孫文は日本に対して、西洋の後を追いかける「犬」にはなるなと訴えている。
孫文は当時、辛亥革命の成果を“奪った”北京政府と戦っていたが劣勢になり、日本に亡命して保護を受けていた。日本に大アジア主義を訴える前に、まず自分が中国をまとめるべきでは? という気がしないでもない。
そんな背景から、この演説には、孫文が積極的に自分を支援しようとしない日本に怒り、独りよがりの見解を述べただけという指摘もある。(大アジア主義)
彼は「アジアのため」とリッパなことを言うが、実は北京政府を打ち破るためにもっと自分を支持してくれ、金などの援助をしてくれ、ということを言いたかったと思われる。
福澤諭吉も「大アジア主義」と同じような考え方を持っていた。
東アジアの国々が近代国家となり、連携して西洋列強に対抗することを理想とした。しかし、中国(清)と朝鮮は儒教などの古い価値観に固執し、西洋の文明や文化を積極的に受け入れず、政治や社会のシステムは古い時代のものとあまり変わらなかった。
「変わらないためには、変えないといけない」というが、この時代、独立を維持するには自己改革は絶対に必要だった。
福澤は清や朝鮮に近代化を期待していたが、それはファンタジーだった。両国が江戸幕府を倒した日本のように、生まれ変わることはなかった。
福澤は、朝鮮を近代化しようとした金玉均に共感し、その実現を支援したが、朝鮮政府は開化派の金を殺害し、その遺体をバラバラにして各地で晒(さら)した。
福澤はその“蛮行”に激怒し、痛みをともなう国内改革を否定し、近代化を拒否する清と朝鮮が日本の隣国にある状態を「不幸」と表現し、そのままで独立を維持することは不可能で、近いうちに西洋列強に分割されるなどして滅亡するだろうと考えた。
*朝鮮は日本に併合され、清は孫文の革命によって滅亡した。
日本が西洋人から清や朝鮮と同一視されることは、外交に悪い影響を与えるため、福澤は「われ日本国の一大不幸」とし、『脱亜論』でこう主張した。
「悪友を親しむ者はともに悪名を免るべからず。われは心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり」
日本は“悪い友人”である清と朝鮮とはサヨナラして、西洋列強と付き合っていくべきだ。この考え方を「脱亜入欧」という。
このときに中国と朝鮮が古い価値観を捨て、西洋に学んで徹底的な改革を行い、近代国家になろうとしていたなら、福澤諭吉が「脱亜」を目指すことはなかったはずだ。
東アジアが連携し、西洋列強に対抗することが実現する可能性もあったと思われるが、清と朝鮮政府はそれを自ら拒否した。
1920年代の時点で日本が西洋列強から離れ、アジアを選択する「脱欧入亜」は現実的ではない。西洋諸国を敵にしても日本に勝算なんてない。
それよりも東アジアの国々が19世紀後半に、国際社会の変化や自国の弱さを受け入れて自立していたら、日本にとって「昔からの良い友人」でいたはずだ。
そうすれば、孫文が大アジア主義の演説で、「おい日本! おまえは覇道を行くのかい? それとも王道かい?」と二者択一を迫る必要もなかっただろう。
> 日本に大アジア主義を訴える前に、まず自分が中国をまとめるべきでは?
> 彼は「アジアのため」とリッパなことを言うが、実は北京政府を打ち破るためにもっと自分を支持してくれ、金などの援助をしてくれ、ということを言いたかったと思われる。
うーん、どうでしょうか? 孫文が狙っていたのは個人的な政治権力の再奪取・拡大と言った欲望の現実化だけではないと思います。
それよりも、日本を利用して、自分が戦い敗れた北京政府を打ち倒し、その勢いでふたたび(欧米列強に対抗し得る)大東亜共栄圏の実現を目指し、あわよくばその上層部の一角を中国人たる自分も占めたいと、ブルジョアジーを叩き潰そうとする共産党の支配ではなく健全な資本主義経済社会を中国にもたらしたいと、そう考えていたんじゃないですかね。
今となってはその真意は分かりませんけれども。