今の韓国では、20世紀のはじめに日本に協力的で、親日派(売国奴)と呼ばれる人物が何人もいる。
その中の1人が大韓帝国の政治家で、日韓併合を推進した李容九(り ようきゅう)だ。
朝鮮王朝とそれに続く大韓帝国の時代、支配階級だった両班が庶民を徹底的に搾取していて、李はその構造を変えたいと願っていた。しかし、朝鮮人が国内を改革することは不可能だと考え、日本と合邦し、日本の力を借りてそんな社会を実現しようとした。
*「併合」という言葉は1910年の日韓併合のときにつくられた言葉で、それ以前には存在しなかった。
そんな李容九に“好機”が到来する。
1909年10月に伊藤博文が安重根に暗殺されると、政治団体「一進会」の会長だった李はすぐに動き出し、同じ年のきょう12月4日、大韓帝国皇帝の純宗や首相の李完用などに日本との合邦を求める声明書を提出した。
その「韓日合邦を要求する声明書」にはこんなことが書いてある。
「日本は日清戦争で多くの犠牲を出して、韓国を独立させてくれた。日露戦争でも日本は多くの損害を出しながらも、韓国がロシアに飲み込まれるのを助け、東洋の平和を維持した。しかし、韓国は日本に感謝もしないで、あちこちの国にすがっていた。韓国が日本に外交権を奪われ、保護国になったのはわれわれ自身が招いたことだ。これから、どんな危険が訪れるかも分からない。わが国の皇帝陛下と日本の天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の立場となって政府と社会を発展させよう」
現在の韓国の価値観からしたら、こんなことを言う人間は「親日派(売国奴)」となる。
そして、翌1910年に韓国は日本に併合されて消滅した。
李容九(1868年〜1912年)
李容九が韓国と日本の合邦を希望した理由は、朝鮮人による改革は不可能と考えたことだけではない。彼は、「東洋諸国は力を一つにして、西洋に対抗できるアジア連邦を結成しなければならない」という大東合邦を理想としていた。そのアジア連邦を築くための第一歩として、まず日韓が一つの家となり、諸国がこれに続くことを期待したという。
一進会の顧問で、李容九とともに日韓合邦運動を推進していた内田良平が『現代語訳 日韓合邦: 知られざる韓国併合の裏面史』でそのようなことを書いている。
ただ、李容九は日本と韓国が対等な立場で一つの国になることを望んでいたらしい。当時の国力の違いなどを考えれば、それは“高望み”で非現実的だった。
【日韓関係】1907年のハーグ密使事件/2019年の告げ口外交
> 朝朝鮮人も日本人と同じ一等国民の立場となって政府と社会を発展させよう
「朝朝鮮人」はタイプミスでしょうか? それとも何か意図があって? あるいは当時そのような用語が?
単なるミスです。
ご指摘ありがとうございます。