【アジアの例外】日本・タイが植民地にならなかった理由

 

まずはクエスチョン。
日本では、戦後直後の1947年5月3日に日本国憲法が施行されたことから、その日が憲法記念日になっている。
では、タイの憲法記念日はいつか?

答えはきょう12月10日で、日本と同じく国民の祝日になっている。
1932年のこの日、国王ラーマ7世が憲法を承認したことで、タイは絶対王政から、現在に続く立憲君主制の国となった。
王や皇帝の上に憲法があり、議会で政治が行われる国でなければ、欧米列強から“仲間”と認められなかったため、この政治体制の変化はタイにとって必然だった。
憲法記念日は現在に続く日本とタイの誕生日と言うことができる。

 

さて、以前サーチナにこんな記事があった。(2020-09-10)

なぜだ! 日本とタイはなぜ「植民地」にならずに済んだのか=中国報道

中国メディア『百家号』の記事によると、アジアで植民地にならなかったのは日本とタイと中国の3カ国だけだった。
このメディアはツッコミ待ちだろうから、さっそく言わせてもらうと、当時の中国は香港をイギリスに奪われたのをはじめ、国内のところどころをフランスやドイツなどの支配下に置かれ、国としては「半植民地」という状態だった。日本とタイは植民地にならずに済んだが、中国は違う。

この中国メディアの分析では、日本が独立を維持することができた理由は、江戸幕府を倒した後、日本人が明治維新で西洋諸国から進んだ文明を学び、自分のものとして吸収することができたから。
そして、日本がこんなにスムーズに改革を行うことができたのは、清という「盾」があったためでもあると主張する。1840年に起きたアヘン戦争で、清がイギリスにボッコボコにされたのを見て、「ああなってはいけない」と日本は警戒心を強めたから、表現としては「盾」よりも「反面教師」の方が正しい。

タイが植民地にならなかった理由は、「タイミングが良かったから」らしい。
西のビルマはイギリスの植民地にされ、東のカンボジアはフランスの植民地となった。直接国境を接していると、軍事衝突が発生する可能性があり、英仏はそれを避けたかったから、中間にあったタイは緩衝地帯として残された。だから、植民地になる運命をまぬがれたという。

こんな中国メディアの分析に対して、日本のネット民の感想は?

・幕府が内戦を避けてさっさと朝廷に政権返却したから、欧米に対抗する体力を残したまま新政府に移行できた。
・日本は植民地にならなかったんじゃなくて植民地にさせなかったんだよ
・戦える男達が阿片窟で一日中ぬいぐるみみたいに寝てたら、そら植民地にされますわ
・明治維新での成長速度はチート。
欧米から見ると未開の蛮族がわずか半世紀で欧州の中堅国クラスまで成長したんだから。
・そりゃあ、日本の教育水準が高く、欧米に侵略されないだけの軍事力があったからだ。

 

日本の明治維新のような国内改革を、タイではチャクリー改革と言って、この時期にタイは西洋人の専門家を雇ったり、留学生をヨーロッパの国へ派遣したりして、進んだ制度や文化などを吸収して文明国となった。
明治維新とチャクリー改革の中心となった人物の経歴は、ぴったりと言っていいほど重なっている。

ラーマ5世は1853年に生まれ、1868年に即位し、1910年に亡くなった。
明治天皇は1852年に生まれて、1868年に即位し、1912年に亡くなった。

19世紀後半の日本には優れた学習能力があり、タイには国際感覚や外交のうまさがあった。
さらに、国のトップが名君と呼ばれる偉大な人物だったことで、西洋諸国の圧力をはねのけ、アジアでは例外的に独立を守り続けることができたのだ。

 

 

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • 日本もタイも、独自の言語・文化を伝統的に維持していたことが大きいんじゃないですかね。
    中国の「清」はもともと満州の北方民族が建国して、漢民族を征服することで成立した王朝国です。なので言語はともかく(おそらく満州人は漢民族から言語を導入した)、中国に独自の文化を全土で維持していたとは言えません。

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