日本の国会では性別や年齢に関係なく、「〜のドン」と言われるラスボス級の大物議員でも初当選した新人議員に対しても、「〜くん」と呼んでいることがルールになっている。
これは1857年のきょう12月20日に、松下村塾を開講した吉田松陰の考え方に由来しているという。松陰は平等を重視して相手を「くん付け」で呼んでいて、弟子の伊藤博文や山県有朋がそんな師匠の精神を受け継いで、国会でもその呼び方を使っていた。
松陰マインドが、現代の日本に影響を与えたものはほかにもある。
日本語を学ぶ外国人を悩ませることの一つが「一人称多すぎ問題」。
英語なら「I」の一言で済むのに、日本語の一人称は立場や性別などによって、私、自分、わし、僕、俺、あたし、あたくし、それがし、わい、うち、おいら、朕…といろいろある。だから、「一人称の使い分けを教えてほしい」と外国人に言われると、日本人も困ってしまう。
アニメでは、キャラクターに個性を出させるために特徴的な一人称が使われていて、ジャイアンなら「俺様」、銭形警部は「本官」、賢狼ホロなら「わっち」と言っている。
知人のトルコ人女性は『文豪ストレイドッグス』の敵キャラ、芥川龍之介の影響を受けて、自分のことを「やつがれ」と呼んで、周りの日本人の時間を止めてしまった。
「やつがれ」は漢字で書くと「僕」になる。
「下僕(召使いの男)」という言葉があるように、「僕」にはあえて自分のヒューマンステージを下げることで、相手に敬意を示すニュアンスがある。
江戸時代の日本には、一般的に自分を「僕」と呼ぶ習慣はなく、これは明治時代になってから国民のあいだに広がった。
TBSの『この差って何ですか?』(2018年7月17日放送)によると、「僕」の“仕掛け人”も吉田松陰だ。
彼が幕末に松下村塾で、自分をへりくだって「僕」、弟子たちを尊重して「君」と呼んでいたことが塾内で流行した。その後、世の中に広がっていき、意味が変質し、現代のような使い方になっていったという。
「僕」の始まりも吉田松陰だった。
ちなみに、大勢の人に向かって呼びかけるときに使う「諸君」という言葉も、松陰が松下村塾で使っていたことが由来になっている。
物を供養する独特の信仰。日本の”神”を表す最も正しい英語は?
一人称だけでなく、日本語には二人称も多いですよ。
あなた、アンタ、お前さん、お前様、お前、てめぇ、君、貴君、貴職、貴殿、貴様、この野郎、(ねぇ)彼女~、○○様ァ~、などなど。
日本語では一人称も二人称も、互いの立場や相互関係、あるいはその場の雰囲気などに応じて使う単語が変わります。上記のように様々な二人称も一人称も、その単語を聞けば「どこで、どのような人が、どんな人物に向かって」呼びかけているのか、われわれ日本人は頭に思い浮かべることができます。
それともう1点、例えば英語では相手への呼びかけとして、相手の名前を直接呼ぶことが多いです。「ねぇジョージ・・・」「なんだい?マリア」とか。ですが日本語では相手の名前を直接呼びかけることは、場合によっては失礼にあたると認識されることもあって、ダイレクトに相手の名前を口にすることはほとんどありません。
このことはおそらく、「相手の名前を呼ぶことは、求婚、あるいは呪いによる拘束を意味する」という古代からの慣習が現代にも影響しているのだと思います。日本語の呼びかけ(及びそうしている自分の立ち位置)には感情による評価も伴うのです。
最近はあまり見かけませんが、少し昔の昭和の時代には、相手に名刺を差し出しながら「わたくし、こういう者です」と自己紹介(?)する人もいましたね。「自分の名前と所属をハッキリ相手に伝えるのをよしとする」ことは、多分、海外からもたらされたビジネス上のマナーです。
>日本語では相手の名前を直接呼びかけることは、場合によっては失礼にあたると認識される
これは、日本の「避諱」文化に由来すると思ってます。