ポーランドの歴史 日本にはなかった苦難の連続

 

1月17日は、日本では 1400年に応永の乱が終わった日で、ポーランドでは 1945年にソ連軍がドイツに占領されていた首都ワルシャワを解放した日。
ということで、今回は日本とポーランドの歴史の違いについて書いていこう。
日本は四方八方を海に囲まれていて、ポーランドはドイツ、チェコ、スロヴァキア、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニア、ロシアと国境を接している。
「歴史は勝者によってつくられる」と言うけれど、環境がつくる部分も大きい。日本とポーランドを比べると、それが見えてくる。

キリのいい 1400年に終わった応永の乱とは、有力な守護大名だった大内義弘が足利義満を相手に起こした反乱を指す。しかし、義満はあまりにも強く、逆に大内氏は討ち取られてしまう。この内乱で何人もの守護大名が消えたことで、勝利した室町将軍の権威は高まり、幕府の支配が確立した。
その後、1467年に応仁の乱が発生し、この戦いが 10年以上も続いたことで幕府の力が弱まり、地方では独立志向が強くなって戦国大名が台頭してくる。

 

知人のポーランド人と話をしていると、ポーランドは大陸内にあって複数の国と国境を接しているから、何度も強国に蹂躙(じゅうりん)されたことがあり、そこが日本の歴史と違うという話を聞いた。確かにそのとおりで、日本人としてその指摘には納得するしかない。

 

ポーランドは 18世紀にロシア、プロイセン、オーストリアによって領土を奪われ、一度地上から姿を消した。その後、1815年にポーランド立憲王国ができたが、ロシア皇帝が国王を兼ねていたから、実質的にはロシアの支配下にあった。
1917年にロシアで革命が起こると中央政府は混乱し、ポーランドはその“スキ”をつき、アメリカの後押しも受けて 1918年に独立を回復した。
(この流れは、京都の室町幕府が弱体化したことで、地方で独立勢力が生まれた戦国時代と似ている。)

しかし、その独立もすぐに奪われる。
第二次世界大戦が始まる直前のポーランドは、西にヒトラー率いるドイツ、東にスターリンのソ連に挟まれ、「隣国ガチャ」で世界史レベルの大ハズレを引いた状態にあった。
1939年にドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦がぼっ発すると、すぐに東からソ連軍も攻めてきて、ポーランド軍はすぐに無力化され、全土がドイツとソ連に占領されてしまう。
この時期に、100万人以上のポーランド人がシベリアなどへ強制移住させられ、その多くが命を失った。また、ソ連はポーランドの軍人や官僚など2万人以上の捕虜を殺害する。(カティンの森事件)。
ドイツの占領下ではホロコーストが行われ、大量のユダヤ人とポーランド人が虐殺された。(ポーランドにおけるホロコースト
1945年1月17日、ヴィスワ=オーデル攻勢でソ連軍がドイツ軍に勝ち、首都ワルシャワを解放した。これでやっと主権を回復できたと思ったら、戦後はソ連の“属国”にされ、1989年に現在のポーランド共和国が成立し、完全な自由と権利を手に入れた。

 

日本は島国で、日本人どうしの戦いは何度も起きて多くの血が流れたけれど、外敵に国を滅ぼされたり、市民が大量虐殺されたりした歴史はない。
ポーランドはそんな闇歴史の連続だ。
先ほどのポーランド人の話では、当時のドイツやソ連にはポーランド人を見下し、差別していたから、ポーランドは徹底的に蹂躙された。
13世紀の元寇でもし日本が負けていたら、そんな悲劇が起きたかもしれない。すしと安全をもたらしてくれたことについて、日本人は海に感謝しないといけない。

7月の第3月曜日は「海の日」で、この日は海に感謝し、日本の繁栄を願う日になっている。こんな祝日は世界で日本にしかない。新鮮なすしと国家の安全をもたらしてくれた海に、日本人は最高の感謝をするべきだ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。