英国人にとっての米ボストンは、日本人にとっての台湾説

 

先日、アメリカ人の男性とイギリス人の女性と一緒に浜松のコストコへ買い物に行って、その後カフェでまったり話をしてきた。
会話をしていて、ボクの中で「英国人にとっての米ボストンは、日本人にとっての台湾だった」という説が浮上したので、今回はそれを紹介しようと思う。

 

ーー年末年始にアメリカを旅行したんだって?

イギリス人女性「そう、ニューヨークとボストンに行ってきた。」

ーーなるほど。で、ユーはなにしにボストンへ?

アメリカ人男性「ボストンはアメリカで最も古い街の一つで、17世紀につくられた。歴史的な建物が残っているから、彼女にアメリカの歴史を感じさせたかったんだ。」

ーーそうか。日本で例えるなら、ボストンは奈良になるかな。
ボストンへ行って、どんなことを思ったの?

イギリス人「ボストンはイギリス人がつくった街だから、街並みがイギリスっぽくて、懐かしい気持ちになった。」

ーーホントだ。ネットで調べると、確かにそんなことが書いてある。
イギリスの港町ボストンから多くの移民が出発して、各地に「ボストン」という名前を付けた。その中で、最も有名な都市がマサチューセッツ州のボストンだと。

イギリス人「そう、だからボストンは『ニューイングランドの首都』とも呼ばれている。」

ーー話を聞いていて、台湾が頭に浮かんだ。
日本はかつて台湾を統治していて、その時代の建物が今でもたくさん残っている。だから、日本人が台湾の街を歩くと、
「初めてなのに懐かしい」と感じることがよくある。イギリス人にとってのボストンもそんな感じなのか。

 

日本は 1985年に日清戦争で勝利して、清から台湾を割譲された。それから 1945年に太平洋戦争が終わるまで、台湾を統治していた。(正式には 1952年のサンフランシスコ平和条約まで)
この時に中央銀行が設立されたり、度量衡(計量単位)や貨幣が統一されたりして、台湾経済の近代化がスタートした。(日本統治時代

下の写真は、スイーツやお茶など台湾グルメの店が集まる「宮下眼科」。中身が名前を裏切っていて、ここに眼科は無い。

 

 

日本統治時代の1927年(昭和2年)、宮原武熊という医師が「宮原眼科」を開いた。戦後、日本が台湾から撤退し、宮原医師が帰国した後もここは病院として使われた。それが閉鎖されると、日本時代の建物の良さを活かしてリニューアルされ、ちょっとしたショッピングモールになった。今では「映える場所」として、たくさんの台湾人や日本人、外国人が集まる人気のスポットになっている。
赤いレンガの建物は、横浜の「横浜赤レンガ倉庫」と似ていて、大正・昭和の日本を感じさせるてくれる。

イギリス人がアメリカのボストンを歩くと、きっとそんなデジャブを感じる。
英語のQ&Aサイトで、イギリス人にとって最も「at home」な雰囲気を感じられるアメリカの都市をたずねたところ、こんな理由でボストンを挙げる人が多かった。

「Boston has a strong connection to British heritage. The architecture, historical sites, and cultural institutions may remind Brits of home.」

(ボストンはイギリスの伝統と強いつながりがある。建築物、史跡、文化施設はイギリス人に故郷を思い出させるかもしれない。)

 

 

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。