先日、富山市で道路工事をしていたら、誤って遺跡の一部を壊してしまってニュースになった。
これにネット民の感想は?
・壊したとこが邪馬台国でした🥺
・日本はソフトもハードも劣化しすぎだろ
・わざとだな
・うちの近くも道路工事中に縄文遺跡出ちゃって工事1年は遅れた
・工事の邪魔にならないように遺跡作ってくれないと、平安の人もちゃんと考えてほしかった
工事で遺跡を破壊した場合、関係者が謝罪と補償をして終わりになると思う。少なくとも、人が死ぬことはない。
3月25日は平安時代の940年に、承平天慶の乱で平将門(たいら の まさかど)が戦いに敗れ、討ち死にした日。つまり、将門の命日だ。
平将門は関東の豪族で、桓武天皇の遠い子孫にあたる。彼は朝廷に反旗を翻し、関東諸国を平定すると、天皇に対抗して「新皇」と名乗り、京都から独立しようとした。しかし、朝敵となった将門は2か月ほどで、藤原秀郷・平貞盛らによって討ち取られ、野望は幻に終わる(平将門の乱)。
将門の乱はこれで終わったが、彼の恐怖伝説がここから始まった。
彼の首は京都へ運ばれたあと、さらしものにされた。しかし、将門の首は何か月も腐らず、目を大きく見開いて、夜になると「俺の胴はどこにある? 首をつないでもう一戦しようではないか!」と叫んだから、人びとは恐怖した。そしてある夜、胴体を求めて首が東へ飛んでいったという。
関東大震災直後の首塚
その首が着いたところが、現在の東京都千代田区にある将門塚と言われている。
ここは日本の中心部で利用価値が大きいが、建設工事でこの首塚を別のところに移動させようとすると、何度も不思議な事故が起こった。
1923年の関東大震災の後、大蔵省の仮庁舎を建てようとしたが、工事関係者や省職員、大蔵大臣までが死亡したことで、大蔵省では「将門の祟り」がささやかれた。仕事に支障が出るほど職員の不安や動揺は大きかったらしく、大蔵省は仮庁舎を取り壊し、鎮魂碑を立てることにした。1928年には大蔵省が主催して、将門のために鎮魂祭を行った。
「将門の祟り」は戦後もあった。
日本は戦争に負けたあと、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領統治が始まると、GHQは区画整理のために将軍塚があるあたりで工事を始めた。すると、不審な事故が連続で発生する。
米軍がブルドーザーで建設のための地ならしをしていると、事故が起きて運転者が投げ出されて死亡した。事故があった付近を調べると、将門の首塚の碑が見つかって大騒ぎになる。日本人は工事をやりたがらなくなり、GHQ側もその訴えを認めたことで工事は中止された。
将門の祟りについては国税庁のホームページにも、「大蔵省に関わる祟りが事実か否かは確かめようもありません」と書いてある。(大手町の首塚)
日本では、無念の死をとげた人は怨霊になるという話がいくつもあって、特に菅原道真・平将門・崇徳天皇の3人は「日本三大怨霊」として特に有名だ。この中で、米軍も“認めた”怨霊は将門しかいない。
現在でも、将門信仰はカタチを変えて続いている。
2021年に将軍塚の改修工事が行われ、それ以降は、一般の参詣者がお供え物をすることが禁止された。それ以前には、首塚にはたくさんのカエルの置物が奉納されていた。
平将門とカエルにはどんな関係があるのか?
将門の首が京都から飛んで帰ってきたという伝統にちなんで、「帰る」と「カエル」の語呂合わせから、左遷された会社員が元の会社に戻ってくるように、または行方不明になった子どもが無事に帰ってくるようにといった願いを込めて、カエルの置物をお供え物にしていた。
ビジネスパーソンが海外勤務を終えて戻ってくると、将軍塚に行って、将門の霊に手を合わせて帰国を報告することもある。
日本には無宗教の人が多いけれど、怨霊には恐怖を感じ、神として信仰する文化がある。
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