「三大祭り」でわかる、神道とヒンドゥー教の考え方の違い 

 

ヒンドゥー教の聖地ヴァラナシに、日本のバックパッカーのあいだで有名な「久美子の家」という伝説的な宿がある。ここは、インド人と結婚した日本人女性の久美子さんが始めた宿で、ボクもインド旅行で何度かお世話になったところ。
先日、その「久美子の家」がリニューアルのために、5年ほど休業することになったというニュースを見て、懐かしさとあの汚さが頭に浮かんできた。
ということで、今回のテーマはインドの宗教や文化についてだ。

 

インドで行われる祭りについて調べると、日本のネット上では「インド三大祭り」として次の3つが紹介されている。

・ホーリー:2月下旬〜3月上旬に行われるヒンドゥー教の春祭り。その年の豊作を祈り、人々は色のついた粉や水をかけ合う。

インドの春祭り”ホーリー”:色をかける理由・カーストとの関係

・ダシェラ:10月ごろに行われる祭りで、説明は後ほど。

・ディワリ(ディーワーリー):ダシェラの20日後に始まる光の祭り。

この中で、ヒンドゥー教徒にとって最も重要な祭りとされるのがディワリだ。
今年2024年は10月31日がディワリの日になるから、知人のインド人から、「一緒に祝おうぜ!」とこんな招待状が届いた。
ちなみに、ハロウィーンとディワリは時期がわりと近い。

 

 

ヒンドゥー教の神話『ラーマーヤナ』には、英雄王子のラーマが魔王ラーヴァナを倒し、故郷のアヨーディヤに戻ってきたという話がある。
ラーマがアヨーディヤに凱旋(がいせん)したことを記念し、その偉大な勝利を祝うために行う祭りがディワリ。だから、上のポスターには「勝利の祭り」と書いてある。

【ディワリ】光が闇に打ち勝つ、ヒンドゥー教徒の祭り

 

キリスト教やイスラム教に比べると、神道の考え方はヒンドゥー教に近く、共通点がたくさんある。まず、神道もヒンドゥー教も多神教で、木や風などの自然をつかさどる神がいる。それに、どちらの宗教にも財運や芸術、学問などさまざまな役割を持つ神がいて、そのための祭りが行われる。
さらに、神道でもヒンドゥー教でも「穢れと祓い」という考え方を大切にしている。
神道では神聖な茅の輪をくぐって罪や穢れを祓い、ヒンドゥー教では聖なるガンジス川に入って穢れを洗い流し、心身を清浄に保つ。
でも、ヒンドゥー教では「戦い」が重視されているという点で、神道とは大きく違うと感じる。そのことについて、三大祭りを参考に説明しよう。

 

ディワリの日、ろうそくに火をつけて祝うことがヒンドゥー教徒のお約束。

 

日本で「三大祭り」といえば一般的に次の3つを指す。

京都の祇園祭:スサノオなどの神を祭り、疫病や厄災の除去を祈る。
大阪の天神祭:学問の神・菅原道真を祭る。
東京の神田祭:数百年前から江戸(東京)を守ってきた神社、神田明神の祭神である平将門やえびす神などを祭る。

祇園祭は、厄災をもたらす怨霊を鎮める「御霊会(ごりょうえ)」が起源になっていて、神田明神では、無念の死をとげた平将門の怨霊が祀られている。
ということで、これら3つの祭りには「怨霊を鎮めて、疫病を防ぐ」という目的と方法が共通しているのだ。
昔の日本人は、人が怨みを持って死ぬと「怨霊」となり、生きている人たちに疫病や災害などをもたらすと恐れていた。だから、怨霊を神として祀ることでそうした不幸から免れ、平和で安全な生活が送れることを願った。
神道では、この御霊(ごりょう)信仰がとても重要な考え方になっている。

 

それに対して、ヒンドゥー教の三大祭りを見ると、「正義(善)が悪に勝利する」ということが重視され、その考え方が表れていることがわかる。
ディワリの20日前に行われるダシェラの祭りでは、英雄ラーマが魔王ラーヴァナと戦い、勝ったことを記念して祝っている。
ディワリは、戦闘を終えたラーマがアヨーディヤに戻ってきたことを記念するもので、どっちも「正義(善)が悪を滅ぼした」という意味では同じだ。
ホーリーも、ヴィシュヌ神の化身ナラシンハがヒラニヤカシプという悪魔を倒したことを祝っている。(Holi)。

 

ダシェラでは、紙などで作った悪魔二体とラスボスのラーヴァナの像が燃される。
正義が悪を打ち負かしたことの象徴だ。

 

ヴィシュヌ神がナラシンハ(人獅子)になり、ヒラニヤカシプを膝の上で殺している。

ダシェラ祭の前には、戦いの女神ドゥルガーが悪魔のマヒシャを倒したことを祝う「ドゥルガー・プージャ(祭り)」が行われる。

ヒンドゥー教で最強レベルの女神、ドゥルガーとは?

 

日本とインドの三大祭りを見ると、神道では怨霊を祀ることで厄災を避ける御霊信仰が重視されているが、インド(ヒンドゥー教)では善が悪に勝利することが重要視されていることがわかる。この2つの考え方は根本的に違う。
そう聞くと、「ヒンドゥー教って好戦的な宗教では?」と思うかもしれない。
そのあたりについて、ヒンドゥー教徒のインド人に聞くと、

「昔、イスラム教徒が侵略してきたとき、その勢力と戦うことが奨励されたから、祭りには戦意を高める目的があっただろうね〜」

と話す人がいれば、

「いやいや、これらの祭りは「自分の中にある悪い心と戦って勝利する」という意味だから、他人と争うことを勧めているわけではない」

と答える人もいて、はっきりしたことはわからない。しかし、どのインド人に聞いても、ヒンドゥー教にはさまざまな価値観や考え方があるけれど、人に不幸をもたらす怨霊を祀り、逆に守護神に変えてしまう御霊信仰のような考え方は聞いたことがないと言う。
あれはきっと日本だけの思想だ。

 

余談

日本のアニメでは、自分を苦しめる強敵が一転して、頼れる味方になるパターンが王道のようにある。これも考え方としては御霊信仰に似ている。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。